中学生でも判ることを間違っていたアインシュタイン

 静止系と運動系の違いは、中学生に教えれば、よく理解できると思いますが、アインシュタインやM・Born等の多くの物理学者の皆さんは、この系の認識を間違っていたのです。
   アインシュタインの座標系に関する考え方が、『特殊および一般相対性理論について』(アルバート・アインシュタイン著、金子 務 訳、白揚社)に記載されているので、
   この本のポイント部分を抜粋し、説明します。
「第2章 座標系」p17~20で事象の位置の特定方法がかいてあります。
ある出来事なり事象なりの場所をすべて空間的に記述するには、その出来事または対象と一致する一剛体(基準体)上の点を定めることがその基礎になる。』
    ここで、軌道堤を移動する石の位置を決めるのに、軌道堤や列車堅く結びついた座標系を使用しています。
    つぎに、「第5章 相対性原理(狭義の)」において、ガリレイ座標系の考え方が記載されています。
『さて、できるだけ明瞭な像を得るために、再び、一様に走っている列車の例から始めよう。われわれは、その運動を一様な並進運動と呼ぶ(〈一様〉とは、等速度で同一速度を保っているからであり、〈並進運動〉とは、列車が軌道堤に対して位置の変化をするが、回転をともなわないからである)。カラスが一羽、まっすぐに一様に ―― 軌道堤から判断して ―― 空中を飛んでいるとしよう。その時、動いている列車の中から判断するとしたら ―― カラスの運動はなるほど別の速度と方向を持つ運動となるであろうが、しかし、同じように一様な直線運動である。抽象的に言えば、ある質量mがある一つの座標系Kに対して一様な直線運動をするならば、第二の座標系K´に対しても、それがKに対して一様な並進運動をしている限り、同じく直線的で、一様である。前章の説明を考えに入れれば、このことからつぎのようにいえよう。
 Kがガリレイ座標系ならば、Kに対して一様な並進運動の状態にある他のすべての座標系K´もガリレイ座標系である。ガリレイ-ニュートン力学の諸法則は、Kに対してと同じように、K´に関してもあてはまる。
 我々はこの一般化をさらに一歩進めて、つぎのようにその命題を表現する。すなわち、K´がKに対して一様運動し、かつ回転しない座標系であるならば、K´に対する自然現象はKに対するのとまったく同じ一般法則にもとづいて経過していく。この命題を〈相対性原理〉(狭義の)と呼ぶ。』

                          

                                                 図-1
 このような説明で、列車に堅く結びついた座標系K´はガリレイ座標系になっているのです。カラスは電車の外を飛んでいるのです。静止系の事象をK´系で見るとたしかに運動法則は維持されています。
 しかし、K´系で起こした事象、例えば、石を電車の外の軌道堤に静かに落としたとします。K´系から見ると石は空気抵抗のために、放物線を描いて落下します。同じことを電車の中で行い、K´系から見ると直線的に落下します。
 アインシュタインの考え方では、同じ系の同じ事象のはずなのに、違う運動状態が観察されるのです。K´系としている電車の中と外では、系が違うのです。
 K´系の電車の外側は、静止系ですから、静止系で起こった事象の運動法則は観測者の速度に応じて観測されるだけなのです。そして、そこで起こした事象(石の例)は、運動系の運動法則にはならないのです。
 ガリレイ座標系は、電車の中の空間だけで有限の大きさしかないのです。
 特殊相対性理論の中では、静止系を移動(運動)する物に座標軸をつけ、運動系にしてしまうのです。アインシュタインの考え方では、静止系を移動する棒や電車に座標系をつけることにより、運動系の運動法則が適用できない静止系の空間が運動系になってしまうのです。
 運動系とは音や光の媒体が移動している空間のことで、そこでは運動系の運動法則が適用されます。(密封された電車の中などがあります。)地球上では、一定速度で移動する閉鎖された空間だけで、有限の大きさしかありません。
 また、静止系の空間と運動系の空間は、同時に存在することはないので、運動系から直接、静止系の事象を測定することはできず相対的な事象としてしか捉えることが出きません。また、静止系からも同じことが言えます。
 宇宙空間では、運動系としては、ロケットの中や星があげられます。星のどの部分までが運動系かは明確にはできませんが、地球では大気圏を運動系とみなすことができると思われます。
 この媒体が移動している空間を持たない棒や点、及び電車の外側は、静止系で、棒や、電車は静止系を移動する物で、静止系の運動法則が適用されるのです。棒に座標軸をつけても運動系にはできないのです
 教科書に載っていない事柄なので、その人の空間認識のセンスがあるかないかによって、考察を間違ってしまうのです。
 この本の「第7章 光の伝搬法則と相対性原理の見かけ上の不一致」において、光の考察を行っているので見てみます。
『光の伝搬過程は、もちろん他のすべての過程と同じように、一つの剛体の基準体(座標系)に準拠させなければならない。そのような基準体として、ふたたびわが軌道堤を選ぶ。その上の空気は、除かれていると考えることにしたい。堤防に沿って光を送ると、前述のように、その光の先端は堤防に関して速度Cで進む。そのレールの上をわが列車はまた速度Vをもって、たしかに光の矢と同一方向だが、当然はるかにゆっくり進む。
 われわれは、列車に相対的な光線の伝搬速度を問うている。ここに前章の考察が当てはまることは容易にわかる。というのは、列車に対して相対的に走っている男が光線の役をつとめるからである。堤防に対するその男の速度Wのかわりに、ここでは堤防に対する光速度Cで置きかえる。すなわち、wはわれわれが求めようとしている列車に対する光速度であり、これについてはまた、
     w=C-V
があてはまる。列車に相対的な光線の伝搬速度はCより小さい、ということになる。
 しかし、この結果は第5章で述べた相対性原理と矛盾する。すなわち相対性原理によれば、真空中の光の伝搬速度はすべての他の一般自然法則と同様に、列車を基準体としようがレールを基準体にしようが、同じことにならなければならない。ところが、われわれの考察によれば、それが不可能のように思える。すべての光線が堤防に関して速度Cで伝搬するとすれば、まさにそのことのために、列車に関する光の伝搬法則は、これとは別のものにならなければならない。――すなわち相対性原理と矛盾する。』


 このようにアインシュタインは、光の考察をしていますが、前述のように、堤防は静止系なのです。w=C-Vは電車の中の運動系に対する静止系の光の相対速度なのです。また、静止系を速度Vで移動する観測者が、観測する速度なのです。
 光と同じような性質の音に変えれば直ぐに判ることですが、電車の中に、光を照射すると電車の中の光の伝搬速度はCとなり、運動法則は維持されるのです。相対性原理とは矛盾しません。
 アインシュタイン等は、ガリレイ座標系の認識を間違っているのです。アインシュタインは、この認識のままに、特殊相対性理論を完成させています。
 この運動系の認識を間違っている端的な例を示します。
 「アインシュタインの相対性理論」(M・Born著、林 一訳、東京図書)のⅥ章
アインシュタインの特殊相対性理論p203~205において、船とはしけを使って、絶対同時性の否定を行っています。文章を引用しながら、説明します。
 この例は、音を使っていますので、皆さんも理解しやすいと思います。
 『船が静止しているときは、次の方法で船A,B上の時計を同期することができる。A,Bの真ん中に船Cを置き、Cから信号音を発する。この音は、A,Bに同時に聞こえるはずである。

         

                  図-2
 さて、この船列Sが動いているとしても、明らかに同じ方法を応用することができる。
船が空気に対して、相対的に動いていることに乗務員が気づかなければ、かれらは、A,Bの時計は同じ速さで進んでいると信じるであろう。

(音で時刻合わせを常にしている。このときに、音が伝わる媒体は、静止系の空気です。また、移動する船には、静止系の運動法則が適用されるのです。)
 はしけA´,B´,C´からなる第2の船列S´がある。その隣りあう船の間隔は第1の船列Sのそれに等しいものとして、船上の時計を同じしかたでくらべてみる。
 さて、船列S´が船列Sを追いこす場合を考えよう。Sは静止しているとしても、また運動しているとしてもよい。ある瞬間にAはA´とならび、BはB´とならぶであろう。乗組員たちは、時計が一致しているかどうかを見ることができる。もちろん、かれらは一致していないことに気づくであろう。AとA´が偶然一致していたとしても、BとB´は一致しないであろう。
 これで上の方法の誤りが明らかになる。船が動いているときには、中央のCから発せられた信号は、船が静止している場合にくらべて、先行する船Aにいくのには余分に時間がかかり、後続の船Bへいくのにはより短い時間ですむ。なぜなら、Aは音波から遠ざかろうとしており、Bは近づきつつあるからである。時間の差は2つの船の速さによって変わる。(中略)
 上の方法は音を用いて時計を調節するものであったが、もちろん音の代わりに光を用いることも可能である。A,Bの時計は中点Cから送られてきた光信号が、つくたびに、ある一定の位置を指すように調整される。このやり方で、どんな系においても、それに属する時計を同期化することができる。だが、このような2つの系が出会う場合には、たとえばAとA´の時計は一致し、BとBダッシュの時計は針の位置が異なるといったことが起こる。どちらの系にもおいても物理法則は同一なので、それぞれ自分が静止していると主張することができ、したがって、同等の権利で自分の時間が正しいと主張できるのである。(中略)絶対同時性というものはない。』



 このような理論展開でBornは絶対同時性の否定を行っています。静止系の運動法則が適用される船を使い、静止系の媒体を伝搬する音を使って、運動系としているのです。
 では、この船の音源と時計を運動系にしてみましょう

        

                  図-3
 時計と音源を丈夫な箱で連結し、密封します。この箱は船と共に移動し、中の空気も一緒に移動するので、(電車の中と同じ状態です。)船が等速度で運動する限りどんな速度で移動しようと、箱の中は運動系の運動法則が適用され、Cから出た音は、同時にAとBに届きます。密封された箱の中が運動系なのです。船自体と箱の中にいない観測者は、静止系を移動する物です
 船列Sと船列S´がすれ違い、時刻合わせをするとA,A´,B,B´すべての時刻が一致します。音を光に変えても同じことが言えます。
 Bornが言うところの絶対同時性はあることになります
 このように、Bornは静止系を移動する物と静止系の媒体を使い、運動系にして議論をして、同時性の否定をおこなっているのです。
 ここで光速度不変原理に関する重要な事柄が記載されているので、その事柄について触れてみます。
 この中で音の代わりに光も使用できると記載されているので、本文の一部を光に変えてみます。「Aは光から遠ざかろうとしており、Bは近づきつつあるからである。時間の差は2つの船の速さによって変わる。」
 この文章から、Aは光の速度をC-Vとして観測し、BはC+Vとして観測していることになります。
 このことは、本のⅥ章の冒頭に記載されている「実験によれば、光速は観測者の運動状態によらず、つねに同じ値Cをとる。」を自らの思考実験の中で変えているのです。
 光速度不変原理の「光速は観測者の運動状態によらず、つねに同じ値Cをとる。」は削除されなければなりません。
 この系の認識を間違っている事柄は、アインシュタインの文献等にも見られます。次にこの間違いを指摘します
『特殊および一般相対性理論について』(アルバート・アインシュタイン著、金子 務 訳、白揚社)の第9章 同時性の相対性のp40~42において、列車と軌道堤と雷を使用して、同時性の否定をしています。ここでの矛盾を指摘します。
 本文を抜粋しながら説明します。

            

                 図-4
『二つの事象(たとえば二つの落雷AとB)があって、軌道堤を基準にして同時であるならば、列車を基準にしてもまた同時であるだろうか?
 その答えがどうしても否定的になることを、直ちに示そう。
 落雷AとBが軌道堤に関して同時であるというときには、雷光のあった場所AとBから出た光線が軌道堤の線分A―Bの中点Mで出会う、という意味である。
 列車上の点AとBもまた、事象AとBに一致する。走行中の列車の長さA―Bの中点をM´としよう。この点M´は、確かに落雷の瞬間には、点Mと一致するが、図にあるように列車の速度Vで右方向へ動いている。列車の中で点M´のところに座っている観測者がこの速度をもたないとすれば、Mにいつまでもとどまっていることになり、とすれば、落雷AとBからの光線が彼の所に同時に到達することになろう。すなわち、この二つの光線は彼の所で出会うのである。しかし実際には(軌道堤から判断して)、かれはBからくる光に向かって急行していくのであるが、Aからの光よりも先行してその光に後から追いつかれるのである。したがって観測者は、Aからくる光よりも先にBからの光を認めるであろう。
 列車を基準体として用いる観測者は、落雷Bが落雷Aより先に起こっている、という結論になるにちがいない。こうして、われわれは以下の重要な結論に達する。
 軌道堤を基準として同時である事象は、列車を基準とすると同時でない、そしてまた、逆も真である(同時性の相対性)。すべての基準体(座標系)はそれぞれ固有な時間を持っている。だから時間の表示が意味を持つのは、時間の表示が基準としている基準体を挙げている場合だけである。』

 このような理論展開で同時性の否定をしています。皆さんお気づきでしょうか?軌道堤で起きた二つの事象と列車の中で起きている事象が違うのです。列車の中で起きている事象は、位置の特定だけです。軌道堤で起きている事象は落雷AとBが起きているのです。
 また、MとM´が観測する光を見るとMは軌道堤を基準体(静止系)とする光を観測し、同じ光をM´は運動系の光として見ているのです。すなわち、列車の観測者M´も静止系の光を観測しているのです
 これで同時性が否定されているのです。
 列車に座標軸をつけ、電車の外側も運動系の出来事として、扱っているので、このよ
うな考察になったと思われます。
 列車の中も軌道堤と同じ事象にしましょう。落雷AとBが起きた時に、同時に列車の
中のAとBに落雷
が起きたとします。列車の中の観測者M´は、列車の中を光が移動し、同時に光が届くのを確認します。
 静止系で同時の事象は、運動系でも同時なのです。運動系の座標系は、電車の中だけ
に限られた範囲でしか存在しないのです。
 同時という事柄に関しては、もう一つ、落雷AとBが同時にMに届くのを電車でも確認できるかどうかという事柄があげられます。
 これに関しては、M´の位置に相当する電車の外側にM”を乗せ電車を移動させたとします。M″は光の速度をC+VやC-Vで観測するので、計算から導き出してもわかりますが、M″は静止系の観測者ですから、静止系で同時の事象は、観測者がどこにいようとどのような状態でも同時なのです。M″の位置に相当するM´も同時に届くのを観測するのです。
 静止系で同時の事象は、運動系でも同時なのです。座標系はそれぞれ固有な時間を持っていないことになります。
 このアインシュタインの文章の中で、「したがって観測者は、Aからくる光よりも先
にBからの光を認めるであろう。」との記述がありますが、電車の外側に乗っている観測者M″も同じことを観測しているのです。ここでも光速度不変原理の「光速は観測者の運動状態によらず、つねに同じ値Cをとる。」は否定されているのです。


 つぎに、特殊相対性理論の根幹部分でも系の錯誤をしているので、これを紹介します。
 アインシュタインの論文「運動物体の電気力学」(1905年)は、同時性の否定や、ローレンツ変換の式が導き出されている特殊相対性理論の根幹部分です。ここでも同じような間違いを犯しているので、実例を挙げながら話を進めます。
 まず、同時性の否定に関して記述します。ここでは、同期した時計が使われているので、時計の同期について説明します。(本文を抜粋)
 『空間内のA点とB点に時計が置かれていて、光線が「A時間」の時刻tAにA点を出発してB点に向かい、「B時間」の時刻tBにB点で反射されてふたたびA点に向かい、
「A時間」の時刻t´AにAに到着したとしよう。
 この時、もしも
   tB-tA=t´A-tB
が成り立つならば、これら二つの時計は同期していると定義する。』
 
次に同時性の否定について、見てみましょう。本のp259~260に記載されている内容を抜粋します。
 『さてここで、棒の両端(A点とB点)に、静止系で同期させた時計を取り付けよう。
 それら二つの時計が示す時刻は、その時たまたま位置した点での『静止系の時刻』に常に一致する。そうなるように、これらの時計を『静止系で同期させた』のである。
 さらに、どちらの時計にも、それといっしょに運動する観測者が一人ついていると想像しよう。その二人の観測者が第一節で定めた方法で、二つの時計を同期させるものとする。光線が、時刻tAにA点を出発し、時刻tBにB点で反射され、時刻t´AにA点に戻る。このとき、光速度一定原理を考慮すると、
   tB-tA=(rAB)/(C-v)(本の中ではCがVと記載されています。)
および t´A-tB=(rAB)/(C+v
となる。ここでrABは、運動している棒を静止系で測った時の長さを表す。こうして、棒と一緒に運動している観測者は、二つの時計は同期していないという結果を得るのに対し、静止系にいる観測者は、二つの時計はあっていると主張することになる。
 このことから同時性というものに絶対的な意味は与えられないことがわかる。二つの出来事が、ある座標系では、同時刻に起こったように見えても、その座標系に対して運動している別の座標系では、もはや同時刻の出来事とは考えられないのである。』
 このように、移動する棒には運動系の座標軸がついているのです。棒と一緒に運動している観測者は、静止系の光を観測しているのです。棒の運動と運動系を区別できないで議論されているのです。
 前にも言いましたが、棒には、静止系の運動法則が適用されるのです。運動系ではないのです。運動系とは、光の媒質が移動している系内だけなのです。運動系内の光の観測は行われていないのです。
 棒ではなく、系を動かして時計の同期について考察してみます。

           

                 図-5
 図-5に示すように、箱(内部が運動系)の一辺(棒)ABがX軸上を速度Vで移動しているとします。このとき、箱の内部のAより光をBに向けて光を照射し、Bで反射されて、Aに戻るとします。このとき、箱の内部には、マックスウェルの波動方程式が適用されますので、棒ABの両端の箱の内部にいる観測者は、
  tB-tA  =(rAB)/C 、t´A-tB=(rAB)/C
  tB-tA  =t´A-tB
を観測し、時計は同期しているのを確認します。
 静止系で同時の事象は、運動系でも同時に起こるのです。
 この同時性を否定する時間の式から、ここでも非常に重要な事柄を見出しました。  Bornと同じように、棒と共に移動する観測者(静止系を移動する観測者)は、光の伝搬速度を(C+v)や(C-v)として観測していることです。
このことは、運動系に対する静止系の光の伝搬速度が(C+v)や(C-v)になることを意味しています。(注1)
 静止系を運動系とし、運動系を静止系にすると同じことが言えるので、静止系に対する運動系の光の伝搬速度も(C+v)や(C-v)として捉えられることになります。
 また、「光速は観測者の運動状態によらず、つねに同じ値Cをとる。」という項目は、この事柄からも、否定されなければなりません。
 つぎに、アインシュタインの論文「運動する物体の電気力学」の最も重要な特殊相対性理論のベースとなる部分での間違いを指摘します。(p262~263)
 運動系kで起こった出来事の場所と時刻を指定する値ε,η,ζ,τに対して、静止系Kを指定する値x,y,z,tとを関係づける連立方程式を求めています。
 本文を抜粋します。
 『x´=x-vtとおくと、kで静止している点の座標は、明らかに、時間に依存しない一定の値の組、x´,y,z,tをもつ。まずτを、x´,y,z,tの関数として求めよう。そのためには、τはじっさいには、k系に静止している時計 ―― 第1節で述べた規則によって同期させた時計 ―― から得られる情報の総体であるということを、方程式の形で表さなければならない。
 時刻τ₀にk系の原点からX軸に沿って放出された光線がx´に向かい、時刻τ₁にx´で反射されて原点に向かい、時刻τ₂に原点に戻ったとしよう。
 このとき、1/2(τ₀+τ₂)=τ₁  ‥‥‥‥‥(1)
がなりたたなければならない。関数τの引数を入れ、静止系で光速度一定原理を用いると、
 1/2[τ(0,0,0,t)+τ(0,0,0,{t+x´/(C-v)+x´/(C+v)})]=τ[(x´,0,0,t+x´/(C-v)] ‥‥‥‥(2)
となる。


 この事柄は、図-5のBをx´に置き換えた状態と同じです。
 ここで、(1)式の1/2(τ₀+τ₂)=τ₁は、τ₁=τ₂でなければ、成り立ちません。しかし、τ₁=(tB-tA)でτ₂=(t´A-tB)ですから、アインシュタインは棒を使った同時性の否定の時に、
     tB-tA=(rAB)/(C-v)、
     t´A-tB=(rAB)/(C+v)
としているので、アインシュタインの同時性の否定の時の考え方では、この(1)式は成り立たないはずなのに、成り立つとしています。
 一方では同時でないと言っておきながら、同じ事柄を行っているのにもう一方では、
同時でなければならないと言っているのです。
 静止系で光速度一定原理とありますが、これは、静止系に対する運動系の光の伝搬速度は静止系で一定だということを言っているように考えられます。
 静止系に対する運動系の光の伝搬速度は、運動系中で直接測定しないと判らないのです。今までの考察では、(C+V)や(C-V)と推測できましたが、現在でも、この速度は実測されていないのです。
 静止系中で光の伝搬速度が不変だからと言って、静止系に対する運動系の光の伝搬速度を静止系中の光の伝搬速度にすることは、できないのです。
(2)式を見てみましょう。(2)式のx´=(rAB)ですから、同時性の否定の時に使われた数値がそのまま入っています。この式は静止系を運動する棒を静止系の光で考察したときの値が入っているのです。この棒の動きを運動系として扱っているのです。このすべての考察が狂った状態で下式が導き出されています。


  Ζ=φ(V)β(x-vt)
  β=1/√{1-(v/C)²}
 そうです ローレンツ変換です。
 ローレンツ変換は、静止系を移動する棒を運動系として導き出された式なのです。棒の理論なのです。
 このように、特殊相対性理論は、系の認識を誤った状態で導き出されているのです。
 静止系で同時な事象は、運動系でも同時なのです。同時性は維持されるのです。座標系の固有の時間は、ないのです。
 ローレンツ変換などないのです。
 余談ですが、特殊相対性理論で使用されている時空図では、同時刻線がX軸に対して、傾いていますが、同時性が維持されれば、X軸に平行になります。時空図は、間違った考察から出された図なのです。


注1) 静止系に対する運動系の光の速度がC+VやC-Vで観測されるためには、マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換でも不変でなければなりません。これに関しては、すでに、不変であることが証明されていました。詳しい内容については、ブログ「崩壊した特殊相対性理論」を参照してください。