物理学の大原則を誤ったアインシュタイン


 アインシュタインの「特殊相対性理論」等の考え方は、1905年の論文「運動物体の電気力学」や1916年に出版された著書「特殊および一般相対性理論について」に詳細に記載されています。
 ここでは、古典的な物理法則と光速度不変原理を使用し、棒や電車及び光の挙動から、移動時間を算出し、系間の同時性や相対性の否定をし、系のガリレイ座標変換で光の移動時間の考察を行い、ローレンツ因子を算出しています。
 ローレンツ因子算出までの古典的な物理学を使用した内容は、物理学を専攻しなかった私にもよく理解できる事柄でした。
 はじめは、読みにくい書物でしたが、よく読み進むうちに、いくつかの矛盾を見出せ、アインシュタインは、簡単な古典的な物理学の大原則を間違っていることに気が付きました。
 この大原則を誤ったために、古典的な物理学で時間の矛盾が生じ、アインシュタインは、これを是として理論構築をしたのです。
 このブログでは、アインシュタインが、間違った物理学の大原則を指摘するとともに、系間で同時性があり、移動物体の時間の遅れや収縮など起きないこと及び、ローレンツ変換は、虚構の理論であることの説明をします。
 説明では、電車を使用して行っていますが、この電車を地球に変えて考察すると矛盾が一層わかりやすくなります。


1. 静止系の光と移動する系の光と物理学の大原則の間違い


 まず、静止系の光と移動する系の光と移動する観測者がこの光をどのように観測するかを見てみましょう。
 速度Vで移動する電車の中に、長さLの棒を置き、棒の両端に時刻合わせをした時計を置き、光で時計の同期を行ったとします。            

                           図-1

 時刻τ₀でA点より光を照射し、時刻τ₁で光がB点に届き、時刻τ₂で光がA点に戻ったとします。
 電車にいる観測者が観測すると電車と棒は、静止した状態なので、図-1のような状態を観測し、
  τ₁-τ₀=L/C
  τ₂-τ₁=L/C
を観測し、時計の同期ができることを観測します。
 一方、棒とともに速度Vで移動する観測者は、電車と電車の中の棒を静止した状態として観測し、C点に対応したA点とD点に対応したB点の光の状態から、C・D点の時計の同期をすることができます。
  τ₁-τ₀=L/C
  τ₂-τ₁=L/C


 次に、静止系での時計の同期を見てみましょう。
 時刻t₀でE点より光を照射し、時刻t₁で光がF点に届き、時刻t₂で光がE点に戻ったとします。   

              

                 図-2
 静止系の観測者は、
    t₁-t₀=L/C
    t₂-t₁=L/C
を観測し、時計の同期ができることを観測します。
 しかし、棒とともに移動する観測者は、移動しているために、棒の端のD′点に光が届かず、静止系の同期の光では、時計の同期をすることができません。
 移動する棒の観測者から見ると図-3のような状態を観測します。    

             

                 図-3
 この観点から、移動する棒の観測者にとって、移動する電車で同期する光と静止系の光で同期する光は、まるっきり違う挙動の光として観測するのです。
 アインシュタインは、「運動物体の電気力学」の中で、移動する棒と棒に沿った光を使用し、静止系に光速度不変原理を適用して時計の同期を行い、同時性の否定をしています。 

                

                 図-4
 静止系に光速度不変原理を適用するということは、静止系の光で考察を行うことになります。移動する観測者は、電車の光ではなく、静止系の光で同期を行っているのです。
 ここでアインシュタインは、棒とともに移動する観測者は、
  t₁(τ₁)-t₀(τ₀)=L/(C-V)
  t₂(τ₂)-t₁(τ₁)=L/(C+V)
を観測し、時計の同期ができないとし、静止した観測者は、時計の同期ができることから、系間の同時性を否定しています。
 前述した電車の光ではなく、棒に対する静止系の光をもって同時性の否定を行っています。
 棒とともに移動する観測者に対する同期の光の挙動が違うのに、静止系の光で代表して考察をしているのです。
 ここで、各観測者が、観測する光の状態を見てみましょう。         

        

                図-5
 電車の観測者と静止系の観測者は、その系の光に対して、移動しない状態で観測をしています。
 一方、棒とともに移動する観測者は、光速度不変原理を適用した光(静止系)に対して移動した状態で観測を行っています。
 系の運動法則を考えたとき、ある事象に対して、系に静止した観測者が観測した状態が、その系の運動法則になります。
 棒とともに移動する観測者が観測している事柄は、静止系の光を移動して観測しているので、運動系の運動法則ではないのです。
 棒の観測者が、電車の光を観測すれば、光に対して移動しない状態で観測することができるのです。そもそも、棒の周りは、運動系ではないのです。
 静止系に、光速度不変原理を適用した光は、運動系の光ではなく、静止系の光になっているのです。アインシュタインの考察は、静止系の光に対する移動する物体(系)の状態を表しているにすぎないのです。
 棒とともに移動する観測者が、光に対して移動していることは、アインシュタインの著書「特殊および一般相対性理論について」にも明確に記載されています。
 P40~43に、軌道堤を移動する列車とA・B点に、同時に落ちた落雷を使用して同時性の否定を行っています。列車を棒にすれば、棒に対する光の状態を考察することができます。    

                 

                  図-6
 ここで、アインシュタインは、「M´いる観測者がB点から来る光に向かっているので、A点の光よりも先に、Bからの光を認めるであろう。」との記述をし、「列車を基準体として用いる観測者は、落雷Bが落雷Aよりも先に起こっている。」と結論付け、「軌道堤を基準として同時である事象は、列車を基準とすると同時ではない。」として同時性の否定をしています。(添付文書)
 アインシュタインは、古典的物理法則と光速度不変原理の組み合わせで、同時性の否定を行い、ローレンツ因子を算出していますが、アインシュタインの手法は、古典的な物理法則に、合致した手法なのでしょうか?
 図-6についても考察してみましょう。
 軌道堤の光と電車の観測者で同時性の否定をしていますが、電車の中の光も考えて、考察してみましょう。
 電車の中の観測者が観測すると、電車は、止まった状態として、電車を観測し、下記のような状態を観測します。  

        

                  図-7
 電車の観測者は、電車の中の光に対しては、移動していない状態で、光を観測し、A′・B′から照射された光が、M´点に、同時に光が届くのを観測します。
 しかし、軌道堤の光は、アインシュタインが、指摘したように、光に対して移動しているために、M点に光が、同時に届かないのです。M´から同じ距離離れた位置から出た光が、同時に届く場合と同時に届かない場合があるのです。
 光に対して、移動した状態をその運動系の事象としてとらえたことが、古典的な、物理法則に合致しない事柄なのです。
 古典的な物理則と光速度不変原理を静止系に適用し、移動する系の同時性を否定し、古典的な手法で、系の座標変換を行い、ローレンツ因子の算出を行っているのです。
 アインシュタインの考え方は、あっているのでしょうか?
 アインシュタインの考え方は、電車と軌道堤を移動する拳銃の弾丸や音で、運動系の事象として考察するようなことを行っているのです。           

          

                図-8
 アインシュタインは、著書の中で、直進する剛体(棒や電車)に硬く結びついた、座標軸をガリレイ座標としていますが、棒の周りの空間は、移動するガリレイ座標系なのでしょうか?(前ブログ「20世紀最大の物理学者の過ち2019/08を参照)
 拳銃の弾丸や音などの挙動を見れば分かりますが、移動する棒の周りは、ガリレイ座標系ではなく、静止系の空間なのです。
 アインシュタインは、静止系の事象を運動系の事象にし、それに対する運動物体の観測結果を用いて、同時性の否定やローレンツ因子を算出しているのです。
 ローレンツ因子算出の思考実験を見てみましょう。
 論文のP261~263にかけて運動系kで起こった出来事の場所と時刻を指定する値ε,η,ζ,τに対して、静止系Kを指定する値x,y,z,tとを関係づける連立方程式を求めています。
 x´=x-Vtと置き、時刻τ₀にk系の原点からX軸に沿って放出された光線がx´に向かい、時刻τ₁にx´で反射されて原点に向かい、時刻τ₂に原点に戻った時の時刻を(1)式に引数として代入しています。
 この思考実験は、長さx′の棒の端に、座標軸をつけ、同期を行っている状態と同じことを観測しています。
 光に対して、k系が移動しているのです。                

          

                 図-9
 このとき、1/2(τ₀+τ₂)=τ₁  ‥‥‥‥‥(1)
がなりたたなければならないとしていますが、(1)式が成り立つためには、棒とともに移動する観測者は、時計の同期を観測しなければ、ならないのです。
 同時性の否定では、移動する棒の観測者は、時計の同期ができないとして、同時性を否定したのに、(1)が成り立たなければならないとしています。
 同時性の否定の時と矛盾した事柄を扱っているのです。
 アインシュタインは、関数τの式に、引数を入れ、静止系で光速度一定原理を用い、
1/2[τ(0,0,0,t)+τ(0,0,0,{t+x´/(C-v)+x´/(C+v)})]
 =τ[(x´,0,0,t+x´/(C-v)] ‥‥‥‥(2)
を求めています。
 そして、この式を展開して、ローレンツ因子を求めています。     

              

                図-10
 この状態を図-10に示しましたが、この図から座標軸を除けば、同時性を否定した図-4と同じ図になります。
 引数で入れた時間も同じ時間が使用されています。
 同時性の否定では、同期できないとしたのに、この座標変換では、移動する観測者が、同期できることにしているのです。
 私が、考えると支離滅裂な理論展開を行っているのです。
 図-9や10の状態で、物理学者の皆さんは、光の波動方程式を考え、アインシュタインの考え方は、妥当性のある考え方であると思う方がいると思います。
 この考察を 静止系と運動系を逆にしてみると良く分かりますが、静止系の観測者は、運動系の光に対して移動しているのです。     

          

               図-11
 運動系の観測者(Y₀系)と静止系の観測者(Y₁系)の観測者が観測する光(軌跡)は、別物なのです。
 Y₀Y₁間に運動系の観測者は、光を観測する事はありません。しかし、静止系の観測者は、Y₀Y₁間に光の軌跡を観測し、図-12に示すように、時間の経過とともに、静止系の観測者が観測するY₀Y₁間の光の軌跡が長くなってくるのです。
 運動系の観測者が観測する光は、実像を観測しますが、静止系の観測者が観測する光は、虚像(相対的な光の移動状態)なのです。
 実像の速度をCにすることに問題は、ありませんが、虚像の速度をCとしてよいのでしょうか?
 図の中に、速度U=C/2の弾丸を想定して、一緒に図示しましたが、弾丸の軌跡は、Y₀より右側は、弾丸の速度Uに依存し、左側は、系の移動速度Vに依存しています。
 光の軌跡もY₀より右側は、光の速度Cに依存し、左側は、系の移動速度Vに依存しています。時間を変えるか、移動速度を変えてみるとこの事柄が、明確になります。   

                            図-12


 弾丸の移動距離をEとすると
 E=(U+V)Δt となり、弾丸の速度は、
 E/Δt=(U+V)
となり、弾丸の相対速度は、U+Vとなります。
 光の移動距離をDとすると、
 D=(C+V)Δt となり、軌跡の速度は、
 D/Δt=(C+V)
となり、弾丸の速度と同じように、軌跡の速度は、移動速度の影響を受けていて、光も一般の物理則に従うことが分かります。
 アインシュタインは、この軌跡Dの速度をCとして理論構築を行っているのです。
 静止系からだけの考察だけではなく、運動系からの考察も考えると、軌跡の速度をCにしている矛盾が明確になります。
 伝搬速度=観測速度としているのが、光速度不変原理なのです。
 一般の物理則では、 観測速度=伝搬速度+移動速度(運動速度)となりますが、光速度不変原理では、この観測速度をCにして議論しているのです。
 光に対して静止しているときと移動しているときで観測される光速度に影響があると考えたとき、問題となるのは、マイケルソン・モーリーの実験結果の扱いです。これについては、次章で記述します。


2.光速度不変原理と光の観測結果ついて
 アインシュタインは、論文や著書の中で、連星の光の挙動などから真空中の光の伝搬速度をCとし、全ての系の光速度も静止系の光速度Cで代表されるとして、同時性の否定を行い、また、観測速度が、伝搬速度に合致しないという理由で、相対性の否定を行っています。
 私も、光の波動方程式から考えても真空中の伝搬速度は、Cと考えています。
 しかし、観測速度は、必ずしもCである必要はないと考えています。伝搬速度と観測速度は、別物という考え方です。
 真空系を移動して観測したときに光速度は、どうなるのでしょうか?
 現在、真空系を移動して光の観測を行っているのは、地球上に静止した状態での観測しかありません。
 地球は、真空系から見ると、疑似的なガリレイ座標系で、しかも空気が存在します。
 地球での光の波動方程式を考えると、真空系の光の波動方程式とは、別の波動方程式が存在し、その波動方程式を考えた場合、地球上での伝搬速度は、Ca(空気中の伝搬速度)となります。
 地上での光の観測で、光速度の異方性を観測した結果が得られていないので、地上に静止して光の観測を行ったときは、どの方向もCaとなると考えられ、地上の波動方程式を考えても合致します。     

                    

                 図-13
 地球の境界面での光速度が、移動速度Vの影響を受けてC±Vになっていても地球の空気中の伝搬速度に支配されるため、地上での光の伝搬速度は、必ず、Caとして観測されます。
 マイケルソン・モーリーが、実験を行った時代は、エーテル理論が議論されていましたが、地球は、ガリレイ座標系なので、波動方程式を考えるとマイケルソン・モーリーの実験結果は、当たり前の結論なのです。
 現在まで、光の速度の観測は、地球上でしか行われていないので、単独で、真空系を移動した観測結果はありません。
 では、単独で、真空系を移動した場合、光速度は、どのように観測されるのでしょうか?
 アインシュタインの著書(特殊および一般相対性理論について P32~35)に、移動する電車と軌道堤に沿った光の相対速度の記述があります。
 この記述を見てみましょう。          

                              図-14

 速度Vで移動する電車と軌道堤に沿って伝搬する光を使用し、考察を行い、相対速度を算出しています。
   W=C-V


 この速度は、光の電車に対する速度ですが、観測者が測定する速度です。
 アインシュタインは、「列車に相対的な光の伝搬速度を問うている。」として、相対速度を伝搬速度とみなしています。
 アインシュタインの考え方は、
  測定速度=伝搬速度
にならなければならないとしているのです。
 そして、列車に相対的な光線の伝搬速度は、Cより小さいとして、相対性原理と矛盾するとしています。
 前述しましたが、電車の中の光は、Cとして観測するのです。
 伝搬速度は、光が系を移動する速度です。系を移動する観測者が、C±Vを観測しても別におかしなことはありません。
 真空中を移動する弾丸や空気中を伝搬する音を考えれば、すぐにわかる事です。   

                               図-15

 真空中を速度Uで移動する弾丸は、一定速度で移動します。また、空気中の音の伝搬速度Sも一定です。速度Vで移動する電車から観測すると
  W=U-V
  W=S-V
の相対速度(観測速度)になります。
 この速度が、UやSと違うから相対性がないと言っているようなものです。( ;∀;)
 電車の中では、UやSで伝搬・移動するのです。
 静止した状態と移動した状態で、光速度を計測したときに、違う観測結果が得られて当たり前なのです。
 静止した状態が伝搬速度で、移動したときは、相対速度なのです。
 真空中を移動しているのですから、光速度が、C±Vで観測されてもおかしくないのです。
 伝搬速度≠移動時の観測速度 であっても何ら問題もなく、当たり前の事柄なのです。
 アインシュタインが出した結論「相対性原理と矛盾する。」は、伝搬速度と移動した状態の測定速度は、別物であるという認識がなされていない結果、測定速度が、伝搬速度と合致しないとして、出された結論なのです。(マイケルソン・モーリーの実験結果の解釈を間違えた。?)
 系認識の誤認と観測速度と伝搬速度を一緒に考えた結果生まれた考え方なのです。
 光に対して移動した観測結果が、Cに合致しなくても、問題はないのです。
 相対速度(観測速度)は、
  相対速度=伝搬速度 ± 移動速度
になるのです。
 相対速度≠伝搬速度 だから、相対性がないという考え方が、なぜ、物理学者の皆さんが容認しているのかが、私には、理解できません。(マイケルソン・モーリーの実験結果のとらえ方ですかね?)
 観測速度=伝搬速度±移動速度 を考えたときに、波動方程式が、ガリレイ変換で、不変にならないことが、問題になります。
 これについては、次章で考察します。


2. 波動方程式は、ドップラー効果によってガリレイ座標変換で不変にならない。


(この内容は、多くの物理学者の皆さんに、「特殊相対性理論」のの矛盾を認知していただきたくて、前ブログ「20世紀最大の物理学者の過ち」の一部を切り取って編集したものです。詳細は、前ブログを参照ください。)
 波動方程式は、ガリレイ変換で不変では、ありません。これは、運動系の波動を観測したときに、ドップラー効果と同じような現象が生じ、振動数と移動速度に変化が生じるので、当たり前の結論なのです。
 この波動方程式が不変でないことと、光速度を結び付け、他の系の光速度を真空中で観測したときに、Cとしている考え方は、誤りなのです。 
 水に発生する波・電線を伝わる交流電流及び、音などは、波動方程式として表すことができます。(「FN高校の物理」 波動方程式と一般解・「物理Tips」波動方程式とガリレイ変換について KENZOU)
 波について、波動方程式が、なぜガリレイ変換で不変にならないかということと速度の関係について、図を使いながら説明をします。
 静止系に静止した水槽と静止系を速度Vで移動する水槽及び、速度Vで移動する電車の中に、水槽があったとします。
 各水槽に同じ方法で同じ波を生じさせます。        

                       

                 図-16
 静止系の観測者が、観測する静止系に静置した水槽の波動と電車の中の観測者が観測する電車の中の水槽の波動は、同じものを観測します。
 波の頭頂間の距離をLとし、波の移動速度をUとすると、静止系と電車の中の観測者は、A・B点を単位時間に通過する頭頂部の数(振動数ν?)を
  ν₀=U/L
として観測します。
 一方、静止系の観測者は、静止系を移動する水槽と電車の中の水槽の波の頭頂部が、B点を通過する数ν₁
  ν₁=(V+U)/L
を観測します。
 単位時間当たりに観測する振動数が、静止した状態の波と違うものを観測するのです。
 一種のドップラー効果が生じているのです。
 ガリレイ変換した状態は、静止系での観測結果を表しています。移動速度と振動数が違う波を観測しているので、波動方程式が違った形になっているのです。波動方程式をガリレイ変換しても不変にはならないのが、当たり前の事柄なのです。
 波動方程式の速度の項が変化するのです。
 静止した音の伝搬状態を見てもその状態がよく分かります。            

                 

                 図-17
 静止した観測者は、スピーカの音の本来の波動方程式を観測し、音速度も通常の速度Uを観測します。 また、観測する周波数も通常のU/Lを観測します。
 しかし、速度Vで移動する観測者は、周波数は、(V+U)/Lを観測し、音速度も U+Vを観測するのです。
 当然のことながら、静止した観測者と移動する観測者では、違う状態の波を観測しているのです。
 静止した観測者と移動する観測者が観測する音の波動方程式は、当然のことながら違ってきます。
 そして、伝搬速度は、移動する観測者の影響を受けるのです。
 ガリレイ座標変換とは、移動する座標系の事象を静止系に置き換えることで、運動系の事象を静止系で観測した状態を表しています。(?)
 波動方程式は、状態式(?)のため、ガリレイ変換をした時に、移動速度と振動数の違う波を観測しているので、不変になることなど、起こりえないのです。
 しかし、伝搬速度に着目すると、系の移動速度の影響を受け、ガリレイ座標変換する(?)と、伝搬速度は、U±Vになるのです。
 波動方程式の伝搬速度の項が変化するのです。当然のことながら、波動方程式は、移動したときと静止した状態では、違うものになるのです。
 光についても同じような現象が起きていると考えられ、波動方程式は、ガリレイ変換で不変では、ありませんが、観測速度は、C±Vになると考えることができます。     

                               図-18

 光速度は、系内の速度はCですが、他の系から観測すると移動速度の影響を受け、振動数が変化し、波動方程式が変化し、移動速度の影響を受けた相対速度として観測されるのです。
 真空中を同じ速度Vで移動していても、単独で移動するときと、ガリレイ座標中に静止した状態で移動するのでは、観測する光の速度に違いが生じると考えることができるのです。  

         

                 図-19
 現在、光速度の測定は、地球上(疑似的なガリレイ座標系)に静止した状態での観測しか行われていません。
 宇宙船の船外等での測定は、行われたことはありません。
 古い実験ですが、フィーゾーの実験は、疑似的な系の移動による光速度の変化を測定した事柄と考えることができます。
 フィーゾーの実験を見てみましょう。 フィーゾーの実験は、媒質の移動速度が、光速度に与える影響を調査したものです。       

      

             図-20(FN高校の物理より引用)
 図のような装置を使用し、光は、二つの光路に分けられ、それぞれ逆の水流を通り、
検出部で、できる干渉縞を測定して水流(空気)の影響を調査する装置です。
 水を移動させることにより、干渉縞が移動し、その移動距離より、各説(エーテル固定説・エーテル移動説・エーテル随伴説)の考察を行っていました。
 考察においては、地球の移動速度を考えないで、光の進行方向に対して、同じ方向の水流を一つにして議論が行われていました。     

      

                図-21
 エーテルの議論を行うのに、地球の移動速度によるエーテルの影響を無視して、議論が行われていたのです。
 エーテル理論の議論を行うには、見直しが必要とおもわれます。
 しかし、地球での光速度は、一定と考えて議論をしているので、図-21のような状態で考察するのが妥当と考えられます。
 実験結果を見ると、水が静止しているときと水を移動させたときで、干渉縞に変化が表れたという事実です。(空気では、変化がなかった。)
 この実験を見てみましょう。     

        

                図-22
 水流の変化により、干渉縞の変化が観測されるということは、AB・CD間の光の到達速度に違いが生じたために、発生する現象で、水流により 水路の光速度Cwが、
Cw+αVに、変化したために起こった現象と考えることができます。
 では、この実験で、水路に水で満たした透明な箱を置き、箱を水流と同じ速度Vで移動したとき、どのように観測されるかを考えてみましょう。           

                         図-23

 透明な箱の屈折理を水と同じものを使用すれば、図-22と同じ観測結果が得られると考えることができます。
 移動する箱を通過する光速度は、Cw+αVになると考えられます。
 箱は、電車などと同じガリレイ座標と考えることができます。静止した箱の光速度は、Cですが、移動する箱の光速度は、Cw+αVとして観測されるのです。
 この状態をさらに発展させて考えてみましょう
 この装置自体を大きな水槽の中で観測し、水で満たされた箱のみを移動したときと静止した状態での観測を行ったとします。        

            

                図-24
 水中の光の伝搬速度は、光の波動方程式から 光源が移動していても 常に、Cwの一定の値をとると考えられます。
 水中の伝搬速度は、常に、Cwであるということから、アインシュタインの考え方と同じ考え方をすると、真空中の光と同じように水中でも光速度不変原理を考えることができます。
 図-24は、図-23の一部分を切り取った状態と考えられますので、私は、移動する箱の光速度をCw+αVとして観測し、AB間とCD間の光の移動時間は、違うと考えています。
 アインシュタインの考え方と同じ考え方をすると、光速度不変原理からAB間とCD間の光の移動時間は、同じとする考え方です。この考え方であっているのでしょうか?
 これについては、皆さんで考えてください。


 ここからは、私の想像を書きます。
 真空中でも素粒子が存在し、それが光を伝搬しているのではないかと考えられていますが、存在する素粒子は、移動しないのでしょうか?
 もし移動するとしたら、分子の作用はないのでしょうか?
 水で、光の伝搬速度に変化がみられ、空気では、伝搬速度の変化が、観測されないのは、ある空間の陽子と電子の密度などが影響するのでは、ないかと考えます。
 空気では、干渉縞の変化が観測されませんでしたが、空気を満たしたダイヤモンドでできた箱を移動したらどうなるのでしょうか?
 私が物理学者だったら、実験で確認したい事柄です。
 地球を考えたとき、地球の伝搬速度は、どの方向の光速度もCaとして観測されているので、地球とともに、素粒子が移動していると考えることもできます。
 真空と地球の大気圏の境界には、電離層やオゾン層などが、存在しますが、これらは、素粒子にどのような影響を与えるのでしょうか? 
 私が物理学者だったら、実験で確かめたい事項です。


3.まとめ
① 光の伝搬速度はCである。しかし、観測される速度は、観測速度=伝搬速度+移
  動速度の関係になる。マイケルソン・モーリーの実験結果は、地球というガリレ
  イ座標内での空気中の伝搬速度を観測しているにすぎない。
② 系間の同時性も相対性も維持され、時間の遅れもなく、移動物体の収縮など起こらな
  い。
③ ローレンツ因子・変換は、虚構の数字で理論である。
④ 光を移動して観測するとドップラー効果により、振動数と観測速度が変化する。
  そのため、違う種類の波動として観測するため、波動方程式が変化するので波動方程
  式のガリレイ変換で、不変になることはない。


添付資料
 「特殊および一般相対性理論について」P40~43


 この内容は、多くの物理学者の皆さんに、「特殊相対性理論」の矛盾を認知していただきたくて、前ブログ「20世紀最大の物理学者の過ち」の一部を切り取り、新たな観点からの考察も加え、編集したものです。
 前ブログでは、いろいろな角度から「特殊相対性理論」の矛盾を指摘しています。
ご一読くだされば、幸いです。


 皆さんのご意見、反論をお待ちしています。


 私は、物理学者ではないので、私ができることは、このブログの内容を多くの物理学者の皆さんに見ていただき、その結果として「特殊相対性理論の矛盾」が、訂正されることを願っているだけです。
 私と同じように「特殊相対性理論」に矛盾を感じた方は、多くのご学友やご同僚とこのブログの内容について議論していただき、より多くの物理学者の皆さんに、この矛盾を認知していただきたいと願っています。