特殊相対性理論は相対速度の理論

(はじめに)
 今までのブログで、特殊相対性理論の矛盾を指摘し、アインシュタインの系錯誤を説明しましたが、矛盾を感じても、まだピンとこない方もいると思います。
 今回、皆さんが完全に、納得できると考えられる矛盾点と指摘方法がまとまったので、ここにそれを記述します。
 前のブログでも矛盾は系錯誤だと指摘しましたが、特殊相対性理論の根本部分での系錯誤をより分かりやすく指摘しながら矛盾を説明します。


(相対性は維持される)
 アインシュタインは、「特殊及び一般相対性理論について」(1915 金子 務訳 白揚社)のなかで ガリレイ座標について言及しています。
 その中で、運動する棒や電車(剛体)に固着した座標軸を考え、棒や電車を基準体とし、周りの空間をガリレイ座標系にしていました
 電車や船の周りの空間は、当然のこととして、運動系の物理法則は、維持されません。
静止系の空間と運動系の空間が同時に存在することは、系間の運動法則が違うので絶対にありえないことです。
 この矛盾に関する端的な記述が、この本のP33~34に記載されています。このなかで、軌道堤を速度ⅴで移動する列車と軌道堤に沿って送った光を使い、列車に相対する光速度Wを求めています。(相対速度
  W=C-V

                              

 そして、アインシュタインは、次のような考察をしています。
『相対性原理によれば、真空中の光の伝搬法則はすべての他の一般法則と同様に、列車を基準体としようがレールを基準体としようが、同じことにならねばならない。………
光線が堤防に関して速度Cで伝搬するとすれば、まさにそのことのために、列車に関する光の伝搬法則はこれとは別のものにならなければならない――すなわち相対性原理と矛盾する。』
 この光を音に変えれば、すぐに分かりますが、レールに沿って送った音は、列車とは違うガリレイ座標系(別の運動法則を持ったところ)で起こっている事柄です。(運動法則が維持されるのは列車の中だけです。)違っていて当たり前なのです。その列車を基準体として座標軸を固着させてもガリレイ座標系にはならないのです。電車の中だけがガリレイ座標空間なのです。
 電車の中にも光を照射し、電車からその光を観測したらどうなるのでしょうか?電車の中にも光を照射して考察してみましょう。

         

 速度Vで移動する電車の外側に観測者Lが張り付き、内部に観測者Oが居たとします。そして、軌道堤と電車の内部にも光を照射します。
 電車内部はOにとって静止系なので、Oは電車内部の光の伝搬速度Cを観測します。
 一方電車の外に張り付いているLが観測する光は、軌道堤の光なので電車に相対する速度 W=C-V を観測します。
 列車を基準体にするということは、O視点の観測を行うことであり、L視点の観測を行うことではありません。
 地上の観測者が観測するのは、地上の光と電車との相対速度(L視点)で、電車内部の状態を観測したものではありません。
 このようにガリレイ座標系に注目して考察すると、相対性原理は維持されるのです。特殊相対性理論は、L視点(相対速度)の理論なのです。
 Oが同時に内部の光と外部の光を観測したら、挙動の違った二つの光を観測するのです。
 アインシュタインの文章をよく読むとこのような矛盾があちこちで見られます。系の認識を持ち、この現象はどの系の現象かを認識し、両方の系に光を照射して読むと、間違いがよくわかります。
 電車から軌道堤の光を考察しましたが、軌道堤から電車の中の光を観測したらどうなるのでしょう?(電車を静止系にし、地上を運動系にすれば、同じ観測をできます。)地上に対する相対速度は、電車と同じ方向の光は
 W=C+V 
で、電車と逆方向の光は、
 W=C-V
を観測するのではないでしょうか?


 アインシュタインは、列車や棒に座標軸を固着させることにより、静止系と同じ空間を同時に別々のガリレイ座標系が共有するという考え方をし、一つの光線について静止系で光速度不変原理を適用します。そして、その光線の挙動を運動系のガリレイ座標の事象として考察しています。
 静止系の光速度不変原理を適用することにより、その時点で光は静止系の光になってしまうのです。そして、運動系の事象として考察すると、静止系の光に対する相対速度を考察していることになるのです。
 アインシュタインは、軌道堤の光と電車には、相対速度の考え方をしたのに、電車の中の光と軌道堤には、なぜ、相対速度の考え方をしなかったのでしょう?
 この考え方は、特殊相対性理論の最も基本となる最初の文献でも見られるので、それを紹介し、矛盾点を明確にします。


(同時性は維持される)
 アインシュタインの論文「運動物体の電気力学」(1905年)(アインシュタイン論文選 「奇跡の年」の5論文 青木 薫訳 ちくま学芸文庫)のP259~260で同時性の否定を行っています。ここでは光を使った時計の同期を利用して議論が進められています。
 まず、時計の同期を説明します。
 A点とB点に時計があったとします。A点の時計の時刻がTA₀のときにB点に向かって光を照射し、B点の時計の時刻がTB₁の時に光が届き、鏡で反射されてA点の時計の時刻がTA₂の時に戻ってきたとします。このとき
  TB₁-TA₀=TA₂-TB₁ 
が成り立つとき二つの時計は同期していると定義しています。
 つぎに、アインシュタインの同時性の否定を見てみましょう。
 長さLの棒ABの両端に同期した時計を設置し、棒の両端に棒とともに移動する観測者L・Mを配置し、棒を速度Vで移動させます。

         

 LとMの観測者が時計の同期を行いました。時刻 TA₀でAより光を照射し、時刻 TB₁でBに到達し、鏡で反射され、時刻 TA₂に戻ったとします。
 このとき、光速度一定の原理を考慮すると
   TB₁-TA₀=L/(C-V)    TA₂-TB₁=L/(C+V)
となり、棒とともに移動する観測者L・Mは、二つの時計はあってないと主張するのに対して、静止系の観測者は、二つの時計はあっていると主張します。
 そして、アインシュタインは、次のような結論をしています。
『このことから、同時性というものに絶対的な意味は与えられないことがわかる。二つの出来事が、ある座標系では同時刻に起こったように見えても、その座標系に対して運動している別の座標系では、もはや同時刻の出来事とは考えられないのである。』
 ここに別の座標系(運動系のガリレイ座標空間)は存在するのでしょうか? 皆さんも考えてください。
 この状況で、静止系において速度vで等速運動するピストルの弾があったとします。AがBに向けてピストルを撃った時、Bに速度ⅴで届くでしょうか?届かないですよね!
 運動系の物理法則が維持されない空間なのです。
 アインシュタインは、運動する剛体(棒・電車etc.)に固着する座標系を考え、運動する棒の周りの空間をガリレイ座標空間としているのです。
 ではこの状態に、本来の運動するガリレイ座標空間を付け加えて時計の同期を見てみましょう。

      

 一片の長さがの密閉した箱の底辺の一辺の両端をA・Bとして時計をつける。箱の内部の同じ位置にも時計を置き、4個の時計を同期し、合わせます
 箱の外側のA・Bに観測者LとMが張り付き、箱の内部のA・Bに相当した位置に観測者O・Pが張り付き、箱を速度Vで移動し、時計の同期を行う。(箱の内部にも光を照射します。) 箱内部の観測者O・Pは、次の時間を観測し、時計は同期していると主張します。(O・Pから見ると箱の内部が静止系)
  TB₁-TA₀=L/C     TA₂-TB₁=L/C
 一方、箱の外の観測者L・Mは、アインシュタインの考え方と同じ時間を観測し、時計は同期していないと主張します。
  TB₁-TA₀=L/(C-V)  TA₂-TB₁=L/(C+V)
 観測者L・Mは静止系の光を観測していることになり、箱のA・B点に対する相対速度を測定したことになます。運動するガリレイ座標の内部の挙動は見ていないことになります。(静止系の光が移動する棒を往復したときの状態を観察しているのです。)
 当然のことながら、箱の内と外の時計はあっています。
 アインシュタインは、箱をとった状態で、あたかもL・Mが静止系とは別の座標系になると考え、運動系に対する静止系の光の相対速度を使用して、同時性の否定を行っているのです。
 正しい系認識をすれば、同時性は維持されていることがわかります。
 運動するガリレイ座標系で内部と外部を同時に観察すると、静止系の光と運動系の光では、挙動が違うのを確認することができます。
 アインシュタインは、一つの光線を使い、光速度不変原理のもとに光速度Cを当てはめ、議論を行っているのです。この光速度不変原理を当てはめることにより、光線は、静止系の光になってしまうのです。
 アインシュタインの思考実験では、一つの光しか使用していないので、文献等を読むときは、常に静止系と運動系の光を念頭に置いて読み進み、視点を変えると矛盾していることがよくわかります。
 つぎに、この論文「運動する物体の電気力学」の特殊相対性理論のベースとなる最も重要な部分での間違いを指摘します。(p261~265)
 ここでは、運動系kで起こった出来事の場所と時刻を指定する値(ε,η,ζ,τ)に対して静止系Kを指定する値(x,y,z,t)とを関係づける連立方程式を求めています。そして、
  X´=x-vt
とおき、τを、(X´,y,z,t)の関数として求めています。


 時刻τ₀に速度Vで移動するk系の原点からX軸に沿って放出された光線がX´に向かい、時刻τ₁にX´で反射されて原点に向かい、時刻τ₂に原点に戻ったとします。
 このとき、
  1/2(τ₀+τ₂)=τ₁                   ‥‥‥‥‥(1)
がなりたたなければならず、関数τの引数を入れ、静止系で光速度一定原理を用いると、
 1/2[τ(0,0,0,t)+τ(0,0,0,{t+X´/(C-V)+X´/(C+V)})]
 =τ[X´,0,0,t+X´/(C-V)]             …‥‥‥‥(2)
としています。


 この事柄は、アインシュタインが行った、速度Vで移動する長さLの棒AB に時計を置き、同期を調査したのと同じ状態で、Aを運動系(k系)の原点にし、B点をX´に置き換えた状態と同じです。時刻τ₀がTA₀に相当し、τ₁がTB₁に相当し、τ₂がTA₂に相当するのです。前述の箱のA点に運動系の座標軸を立てたと考えてください。

         

(2)式を見てみましょう。(2)式のx´は長さLに相当しますので、
   X´/(C-V)=L/(C-V)=TB₁-TA₀   
   X´/(C+V)=L/(C+V)=TA₂-TB₁ 
となり、同時性の否定の時に使われた、静止系の光が移動する棒を往復したときの数値(相対速度)がそのまま使われています。
 静止系の光と運動系の挙動が違うことを考察しましたが、光に光速度不変原理を適用することで、光は静止系の光になってしまったのです。
 今までの考察で、静止系に対する運動系の光の相対速度は、(C+V)や(C-V)と推測したので、静止系で観測される運動系の光の値を使って、(2)式を書き直してみましょう。
  TB₁-TA₀=L/(C+V-V)=L/C   
  TA₂-TB₁=L/(C-V+V)=L/C
ですから(2)式は
 1/2[τ(0,0,0,t)+τ(0,0,0,{t+X´/C+X´/C})]
 =τ[X´,0,0,t+X´/C]                 ‥‥‥‥(2´)
となります。
 そして、式を展開して得られる結論は特殊相対性理論とは、全然違ったものになります。
 アインシュタインは、この運動系に相対した静止系の光速度(相対速度)を使った(2)式を展開し、下式を導き出しています。
  Ζ=φ(V)β(x-vt)
  β=1/√{1-(v/C)²}
そうです。 ローレンツ因子です。
 このように、特殊相対性理論は、系の認識を誤って導き出された相対速度の理論なのです。
 運動する棒に座標軸を固着させても、周りの空間は、ガリレイ座標系にはならない
のです。
 ガリレイ座標間で相対性は維持されるのです。
 静止系で同時な事象は、運動系でも同時なのです。同時性は維持されるのです。
 ガリレイ座標系の光は、その系の動きに対応した動きをするのです。 
 特殊相対性理論で導き出されたローレンツ因子は、相対速度から導き出されたものなのです。
 この系認識錯誤と光速度不変原理により、運動系の光の速度をCとすることが、特殊相対性理論の矛盾の根源なのです!( `―´)ノ


 アインシュタインの考察が正しかったら、下記のような矛盾は絶対に起こらないはずです。
 静止系で全て同期してあり、同じ時刻を表示するように設定されている長さLの光時計を3個使用し、速度Vで移動する電車に図のように設置します。

          

 Mから出た光はABCで反射され、Mに戻り、Mに戻った時にMに設置したフラッシュが点灯するようにします。
 電車に乗っている観測者は、各光が2L/C時間後にMに到達し、フラッシュが、一回光るのを観測します。
 一方、地上にいる観測者は、特殊相対性理論に準じた光の軌跡の観測を行うとA・Cの光はMに2LC/(C²-V²)時間後に到達し、Bの光は2L/√(C²-V²)時間後に到達し、フラッシュが、二回光るのを観測することになるのです!
 現代科学の常識では考えられない、一つのものが二つに分かれてしまうのです。
 光時計の角度を変えると電車の光時計の2L/Cの時間が地上では
  2LC/(C²-V²)~2L/(C²-V²)
の間で、無数の時間が観測されるのです。
 皆さんは、この現象に疑問を持ちませんか?
 運動系の一つの時間が、静止系で無数に観測されるなんてどう考えてもおかしいですよね!!
 この矛盾は、光速度不変原理の下に、運動系の光の軌跡(相対速度を持つ)をCとして取り扱っているから起こった現象です。運動系の光と静止系の光は別の挙動をするのです。運動系の光の速度(軌跡)をCにして議論はできないのです。
 さらに、MよりA・B・Cの各点に到達する時間を考察するとおかしい現象が判ります。電車の観測者は(電車を静止系と考えればよいのですから)L/C時間後に各点に光が到達するのを確認します。
 一方、地上の観測者は、L/(C+V)、 L/√(C²-V²)、 L/(C-V)の時間を観測し、これは、電車の中のA地点は時間が進むことをいみします。
 光時計の角度を変えるとL/(C+V)~L/(C-V)の間で、無数の時間を観測することになるのです。L/(C+V)~に関しては「運動する時計が進む」という現象が生じてしまうのです。
 しかも、時間の遅れはT×√1-(V²/C²)のはずなのに、ミンコフスキー図で分かるように、電車の場所によって時間の進みや遅れがあるのです。
 なぜ、「運動する物体の時計は進む場所と遅れる場所」があるとしないのですか? 皆さん何かおかしいと感じないですか?
 止まっている電車の前・中央・後ろに光時計を設置し、同期し、合わせます。電車を速度Vで動かし、時計を作動させます。

       

 速度Vで動いた後に、地上で観察する各々の光時計の進み方に違いはありますか?
 ミンコフスキー時空図の同時刻線の傾きからすると、進み方に差が出るはずなのですが、差の説明ができる方がいらっしゃったら、教えてください。
 矛盾を指摘するとまだまだありますが、このくらいにしときましょう。


(マイケルソン、モーリーの実験結果とマックスウェルの波動方程式について)
 「運動系の光と静止系の光は挙動が違う。」に関して問題になるのは、「マイケルソン,モーリーの実験結果」と「光の波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと」と考えられます。これについて考察してみましょう。
 まず、マイケルソン,モーリーの実験結果について考えてみましょう。
 マイケルソン,モーリーの実験結果は、この時代、主流だった固定したエーテル理論を覆す結果で、エーテル中での光の相対速度を求めようとして行われている実験です。
 ここで出てきたのが、収縮説・エーテル随伴説などですが、ガリレイ座標系を扱ったので、ガリレイ座標系の考え方をしてみましょう。宇宙を考えた時、地球の大気圏はガリレイ座標系でしょうか?
 この答えは皆さんも「イエス」だと思いますが、地球がガリレイ座標系ならば当然のことながら、この地球を静止系と考えたとき、普通の物理法則が維持されます。では光はどうでしょうか???
 当然、地球を静止系と考えれば、空気中でのマックスウェルの波動方程式が適用されるので、光速度はどの方向も同じになります。マイケルソン,モーリーの実験結果は、ガリレイ座標系やエーテル随伴説を考えたとき、当たり前の結果なのです。
 相対性や同時性の記述の中で、LとO視点の記述をしましたが、マイケルソン,モーリーの実験は、O視点の実験結果なのです。L視点での実験はいまだかって行われたことはありません。相対速度WがC-Vということは、光の速度は観測者(L)の移動速度の影響を受けていることになるのです。

            

 地球の大気圏を電車の中と想定してください。電車の中では、光の伝搬速度に方向性は、見出せません。しかし、電車の外側で測定したら、方向性があるかもしれません。(Lの視点で光速度を測定する。)
 地球の大気圏外で長い物干し竿に測定器をつけて、光の方向性を調べたら、方向性があるかもしれません。しかし、このような実験(L視点の実験)はいまだかって行われたことはありません。
 地球の大気圏内(電車の中)と大気圏外では、光は別の光速度を持っている可能性が高いのです。
 マイケルソン,モーリーの実験結果が出た時代は、「固定したエーテル理論」が主流で、マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと等も加味され、「エーテル」の中を移動しているにもかかわらず、光の速度は観測者の移動速度の影響を受けないと考えられたのでしょう。(アインシュタインは、同時性の否定の時に、観測者L・Mが観測した光速度は、Cではなかったのですが?)
 しかし、「ガリレイ座標系」や「エーテル随伴説」を考えた場合、マイケルソン,モーリーの実験結果が光の速度は観測者の移動速度の影響を受けないという結論とは、直接結びつかず、当たり前の結論になるのです。
 観測者の移動速度に影響されるとすると、ここで問題になるのが、「マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと」です。
 これに関しては、KENZOU氏が、次のブログで音波の波動方程式を求め、光の波動方程式と比較しています。 【 有機合成を専攻した私は、まだ勉強したことがない事柄なので、詳細は次のブログを参照してください。
「物理Tips ~波動方程式とガリレイ変換について~ KENZOU 2008年5月19日(http://hb3.seikyou.ne.jp/home/E-Yama/weqga.pdf)」 】


 そして、この音波の波動方程式もガリレイ変換で不変でないことを説明し、その解を求めています。
   ρ(x,t) = f(x´−(v−V)t´)+g(x´+(v +V)t´)  [式 18]
 この解は音波の伝搬速度が、正と負の方向で変化する。つまり、空気に対して速度Vで動いている観測者からは、音波はx軸の正の向きに速度v-Vで進み、逆の方向には速度v+Vで進むということを言っているにすぎないとしています。
 一方、光に関しては、マックスウェルの波動方程式もガリレイ変換で不変でないが、音波と同じ挙動を示すことを証明しています。
そして同じように解を求めています。
   φ(x´,t´) = f(x´−(c−V)t´)+g(x´+(c+V)t´)  [式 21]
 この解は、光の伝搬速度が、正と負の方向で変化する。つまり、真空に対して速度Vで動いている観測者からは、光はx軸の正の向きに速度c-Vで進み、逆の方向には速度
c+Vで進むということを言っているとしています。
(KENZOU氏は、マイケルソン,モーリーの実験結果は、『真空中での光の速さは観測者の運動状態が変わっても、光の進む方向によらず一定である。』として、この結論を棄却しています。)
 音の波動方程式は、ガリレイ変換で不変ではありません。しかし、音はそれぞれのガリレイ座標系内では、同じ法則に従います。波動方程式のガリレイ変換が不変でなくてもガリレイ座標間で法則が維持される場合があるのです。
 光はどうでしょう?音と同じように考察すれば、『ガリレイ座標間で光速度の法則が維持されていて、真空中での光の速さは観測者の運動状態が変わると、光の速度も観測者の速度の影響を受ける。』と考えてもおかしくはありません。
 マイケルソン・モーリーの実験は空気中に静止して測定しているので、いまだかって真空中や空気中を直接移動しての光速度の測定は行われていません。
 しかし、音と同じように光も真空に対して速度Vで動いている観測者からは、光はx軸の正の向きに速度c-Vで進み、逆の方向には速度c+Vで進むと考えると思考実験の考察に合致し、光時計の矛盾も解決します。
 光速度不変原理の『真空中の光の伝搬速度は互いに等速度運動している観測者に対して
観測者の速度によらず常に一定である』はマイケルソン・モーリーの実験と「波動方程式が不変でないこと」から導き出されたものと考えられますが、これにこだわらず柔軟な考え方で、物事を考察していただければ、特殊相対性理論の矛盾をわかっていただけると考えています。
 特殊相対性理論は相対速度から導き出された虚構の理論なのです。


(あとがき)
 この矛盾に気づいたのは、十数年前に特殊相対性理論の解説書を読んだときでした。その中で電車に垂直に設置した光時計を使用して「運動する時計の遅れ」が説明されており、最初は納得しましたが、半信半疑でした。
 他の物理現象では、図のような軌跡を描く物体の動きがLに到達する時間はL/CでVの速度に依存しないはずなのに、光の場合だけ、軌跡の長さをCで割っていて、光だけは特殊な扱いになっていました。

               

 なぜ、光だけ特殊なのだろうといろいろ考えました。(物理学者の皆さんは、こんな事考えないのですかね?)いろいろ考え、「光時計の角度を変えたらどうなるのかな?」と考えたところ、時間の遅れに、バラツキが出る事が判り、やはり、何かおかしいことに気が付きました。
 物理専攻ではない私が、気が付き、ネットでも矛盾を指摘するものが見受けられたので、そのうち理論が覆されるだろうと思っていました。
 しかし、去年ネットで調べたところ、特殊相対性理論は、数々の矛盾が指摘されているにも関わらず、いまだに、多くの物理学者の方々に受け入れられていました。
 なぜ、矛盾が指摘してされているのに、この理論が受け入れられているかというと理論の根底部分の間違いを指摘できないがために、この理論が100年以上の長きに亘って 物理学者に受け入れられているのです。
 有機専攻の私が、このようなことをやらなくてもと考えましたが、科学をかじった人間なので、間違った理論が世間に受け入れられているのに、我慢ができなくなり、去年の8月に、「ブログ村」にブログを立ち上げ、物理学者の先生方に矛盾に関する頓珍漢な質問を繰り返し、特殊相対性理論の書物を何冊か読み、根本的な間違いを見つけました。
 アインシュタインの論文等は、非常に読みにくい文章校正で、内容を理解しようとし、内容に疑いを持たずに読むと納得してしまう事柄が書いてあります。
 しかし、間違いに気づいて読むとおかしな理論展開をしていることがよくわかります。
 間違いは、「エーテル理論」(光を伝搬する媒体)より派生した『マイケルソン、モーリーの実験結果の考察方法の間違い』より派生した『光速度不変原理』と「系」の認識錯誤で、この間違いを指摘できないことから、いまだに多くの物理学者の皆さんが受け入れているのが現状です。
 私は、いろいろ思考実験を繰り返し、特殊相対性理論に精通した先生に質問しました。
 ブログを始めたときは、AM・CMの光時計のみを使い、時間が同じだからA・Cに同時に到達すると考え、物理学者の先生に質問しました。
 すると、ミンコフスキー図を示され、「同時ではないよ」と言われ、見たこともない図を見て納得しかかりましたが、光時計の角度を変えると時間が変わることが納得できないために、特殊相対性理論に関する書物を何冊か買い、それを読みました。
 そして、物理学者の先生に頓珍漢な質問を繰り返し、根本的な間違いを見つけるとともに、どうしたら特殊相対性理論を信じている学者さんを納得させられるかを考えました。
 そして同時ではなく、時間の矛盾を指摘すれば、納得させられると考え、上述の光時計の矛盾を考えました。
 このような文章をあらたに、シリーズに分けて投稿しようとしていました。私も矛盾を指摘する先生方と同じく、そのシリーズ(実際には出していません。)ではただ矛盾を指摘しているだけで、根本的な矛盾を適切に指摘していなかったのですが、今回の投稿は、特殊相対性理論の根本的な矛盾をそれなりに適切に指摘できたと考えています。 
 『光速度不変原理』を覆すのは、「天動説」を「地動説」に変えるくらい非常に困難なことと思いますが、(今は、裁判で火あぶりにされませんが。)せめてヒビを入れられたらと考えています。
 物理学を専攻していない自分が、「何故こんなことをやらなくてはならないんだ?」と自問自答し、「めんどくさいから」止めようとしました。
 しかし、科学をかじったことがあるので、間違った理論が物理学に多大な影響を与えているのを見て、なぜかやってしまいました。
 これを読まれた方は、科学者の方々と思われます。あなたも疑問に思ったら、それを解決するように努力してください。科学の発展のために!
 物理学者の皆さんの「反論・質問・ご意見」をお待ちしています。議論を行うことは、いろいろな見方ができ、真実が出てくると考えているので、皆さんの反論等をお待ちしています。