愚者さんのコメントに関する反論

 運動系(地球)での時計の同期を見てみましょう。
 運動系(地球)を静止系として観測し、原点oに、長さLの棒を置き、その端をx’とします。
棒の端には、時刻合わせした時計、観測者A・Bを配置します。

          

                 図-1
 観測者A・Bは、x'に光が到達する時間
  τox'=L/C
を観測し、原点oに戻る時間
  τx’o=L/C
を観測し、時計が同期できるのを観測します。
 この地球での観測状態を静止系(宇宙空間)に、光速度不変原理を適用し、静止系にも時計を配置し、見てみましょう。

         

                  図-2
 観測者A・Bは、x'に光が到達する時間
  τox'=L/(C-V)
を観測し、原点oに戻る時間
  τx’o=L/(C +V)
を観測し、時計が同期できないのを観測します。
 地球の光で同期できるのに、光速度不変原理を適用した光では同期できません。
 そして、「§2長さと時間の相対性」で静止系に、光速度不変原理を適用した光で時計の同期ができないことより、系間の同時性を否定しています。
 これは、静止系に光速度不変原理を適用した光は、移動する観測者A・Bに対して (C-V)、(C +V)で移動していることを意味します。
 観測者A・Bにとって、運動系の光と静止系に光速度不変原理を適用した光は、違うものとして観測していることになります。
 疑問に感じませんか?


 この考え方で、アインシュタインは、論文の中で座標変換をし、光の移動時間L/(C-V)、L/(C +V)を座標変換の式に代入し、ローレンツ変換因子を計算しています。
 座標変換の式中の x'/(C-V)、x'/(C+V)は時間を意味しています。
 地球上では、観測者A・Bは、光速度Cを観測するのに、静止系に光速度不変原理を適用した光では、(C-V)や(C+V)を観測していることを示しています。
 座標変換で観測者A・Bが、違う速度の光として観測しているのは、座標変換方法に問題があるから起こった現象です。
 つまり、運動系の光に対して静止系で光速度不変原理を適用しても運動系の光を表していないのです。
 運動系の光と静止系の光は、ともに、その系では光速度Cですが、空気中の音と電車の中の音のように、同じものではないのです。
 この間違った光の考察(手法)「運動系の光に、静止系で光速度不変原理を適用する」を用いて導き出されたローレンツ変換・運動物体の収縮・時間の遅れなどすべて虚偽の事柄なのです。


 物理学の基本原理をよく考えてください。
 運動系と静止系の座標変化を行う時、音で代表されるように、静止系の観測測度ではなく、相対速度を用います。
 ガリレイ変換では、χ’=x-vt と置いて その系の相対速度(軌跡の速度)で座標変換します。


 光速度不変原理とは、慣性系で観測する光速度は、一定ということ
 地球の光を静止系で観察すると地球の光の軌跡を観察している。
 しかし、軌跡は光と認識されるので地球上では、光速度Cでしか観測することができない。
 音と同じように、その系では、伝搬速度が支配的なので静止系で相対速度を直接測定できない。
 光と光の軌跡は、別物
 アインシュタインは、静止系に光速度不変原理を適用し、軌跡の速度を観測測度にした。
 物理学者の皆さんは、物理学の大前提を見落としているのです。
 光の観測測度と軌跡の速度は、別物
 これが判らなければ、永遠に、特殊相対性理論はなくならない。