二つの光速度が存在した!! 特殊相対性理論の矛盾

 某物理学専攻で宇宙物理が専門の院生の方のコメントに対する見解が長くなったので、ブログにそのまま載せました。
 コメント内容は前ブログを参照ください。


 ご指摘ありがとうございました。
 物理学者さんの考え方が判り、まだまだ素人の域を抜けていないので、本を取り寄せて勉強したいと考えております。
 光時計の件ですが、確かに、ローレンツ収縮があるとしたら、同じ時間になります。
 電車の中と外に関する問題ですが、見解が違うので、反論させてください。
 絶対静止系を考えた場合、地球が速度Vで移動していても、速度Vに対応した収縮が起こるので、マイケルソン・モーリーの実験結果のように光の速度の方向性がなくなると仮定すると、速度ⅴで移動する電車にも速度V+vに対応した収縮が起こるので、マイケルソン・モーリーの実験結果は、地球と同じように電車の中も、どの方向の光速度も一緒になるはずです。
 物理院生の方が、考えていらっしゃるのは、全部同じ真空だから電車の中も外も同じ光速度Cと考えていらっしゃるようですが、電車の収縮やマイケルソン・モーリーの実験結果を考えると電車の中と外では、観測者の位置で違う光速度を観測する可能性があるのです。(電車内は方向性がない。電車の外は方向性がある。)
 移動する棒に座標軸をつけても、電車の中の状態は再現できていないのです。
 また、アインシュタインは同時性の否定で、LとMの観測者が時計の同期を行なったとき、時刻 TA₀でAより光を照射し、時刻 TB₁でBに到達し、鏡で反射され、時刻 TA₂に戻ったとします。
 このとき、光速度一定の原理を考慮すると(論文の中の表現を使用)
   TB₁-TA₀=L/(C-V)    TA₂-TB₁=L/(C+V)
としていますが、観測者LとMは、光の速度をC+VやC-Vとして観測していることになります。観測者LとMを静止系にして、光速度をCとして観測していれば、L/Cを観測するはずです。
 この事柄は、マイケルソン・モーリーの実験結果と矛盾するのですが、どうなのでしょうか?
 観測者が移動速度の影響を受けているとしか考えられないのですが。


 物理院生の方コメントありがとうございました。早速、本を取り寄せて、読んでみたいと考えています。


 電車の中と外では、光の状態が違うとことに関して、補足させてください。


    

 室内が真空で、速度Vで移動する電車の中に、ダイヤモンドでできた長さLの棒ABを置き、ダイヤモンドの中をAよりBに向けて、光を照射し、Bに光が届くのを静止系より観測します。
 このとき静止系の観測者は、下記のような光の軌跡を観測します。
 観測する光は図のような状態の光で、直接ABを移動する光を測定はできません。


    

 Aから照射した光がBに到達する時間Tⅾを測定するために、ダイヤモンド中の光速度をCDとし、観測者は、光が照射したときのAの位置を線路上にマークし、同じようにBに光が届いたときのBの位置を線路上にマークし、STの距離Dを計測します。
 そして、計算により、Tdを求めました。このとき、相対性理論に精通した方々も光の軌跡を光速度CとかCⅾで割るというようなことはしないですよね?計算してみましょう。
 Tⅾ=D/(Cⅾ+V)  D=L+VTⅾ  Tⅾ=L/Cⅾ
となります。
 次にダイヤモンドの代わりに、水にします。同じような計算をすると、
 Tw=L/Cw
となります。
 次にヘリウムガスを考えてみましょう。同じ計算をすると、
 Th=L/Ch
となります。
 次に真空を考えてみましょう。同じ計算をすると、
 Tⅴ=L/Cⅴ
となります。
 しかし、特殊相対性理論では、真空中の光速度は一定として、
 Tⅴ=L/(Cⅴ-V)
としています。
 特殊相対性理論の考え方では、Vの値を大きくすると、
 Tⅴ > Th・Tw・Tⅾ
という現象が生じてしまうのです。
 物質の光速度で話を進めていましたが、現代の科学では不可能ですが、超高速度の弾丸(10万km/S)を使用したときに、電車の速度が20万km/S以上の時には、
 Bに到達する時間が
 Tⅴ > 弾丸
 という非常に矛盾した現象が生じるのです。
 考え方があっているならば、こんなことが起こらないはずです。


 次に静止系で起こる現象を考えてみます。
 静止系の座標軸上で長さLの中が真空の棒を速度Vで静止系の時間でX軸方向にL/C時間移動したとします。棒は、距離VL/C移動します。
 次に、光をX軸方向に照射し、静止系の時間でL/C時間に光が到達する距離はLになります。
 次に、棒の中のA点より、B点に光を照射します。この棒の移動だけを考えると、静止系の時間で、L/C時間後には、同じように、B´に棒が移動しています。


       


 次に棒の光と棒の移動状態を観察してみましょう。棒の中にいる観測者は、L/C時間後に、光がBに到達し、距離VL/C棒が移動したのを観測します。
 棒の移動だけを考えると、静止系の移動距離VL/Cと棒の中から観測する移動距離VL/Cは、同じと考えるのですが、違う見方ができるならばお教えください。
 アインシュタインの考察は、光速度不変原理の下に、光の移動状態だけを考察していますが、静止系の物理現象のみを考察すると、何かおかしいと考えられるのですが、私の考え方が違っているのですかね?


 アインシュタインの考え方は、真空中の光速度は、運動系の中も、静止系も同じと考えているようです。
 同時性の否定で観測者LとMが観測した光の速度は、C+VやC-Vとしたのは、この考えがあったからだと思いますが、マイケルソン・モーリーの実験結果から「真空中での光の速さは観測者の運動状態が変わっても、光の進む方向によらず一定である。」という現在、物理学で考えられている事柄とは一致しないのです。
「真空中での光の速さは観測者の運動状態が変わっても、光の進む方向によらず一定である。」が前提条件ならば、LもMもC+VやC-Vでなく、Cを観測するのです。[私は、運動系の座標空間(密閉された空間)を持たないので考え方が違いますが。]


 相対性の否定の時に、軌道堤の光を使用して電車に対する相対速度を出していますが、電車基準で考えた時にどうなるのでしょう。観測者が速度Vで移動しているのです。


         

 電車を静止系にした時、軌道堤の観測者と電車の光の相対速度は、アインシュタインの考え方に従うと
 W=C-V
を観測します。
 この事柄は、軌道堤の観測者が電車の光速度をC-Vとして観測していることになります。
 しかし、同時性やローレンツ因子の算出の時には、光速度不変原理の下に、運動系の光速度を、Cにしているのです。
 相対性の否定では、相対速度で議論しながら、同時性の否定やローレンツ因子の算出の時には、光速度不変原理の下に、この相対速度の考え方が消失しているのです。
 私は、非常に疑問に感じるのですが、私の考え方がおかしいのでしょうか?


 院生の方、大変ありがとうございました。再度、本を読み、考えたいと思います。
 また、何か私の考え方におかしいと感じることがございましたら、どしどし、ご指摘いただければ、ありがたく存じあげます。
 またよろしくお願い申し上げます。