物理学者の間違っている常識 (新シリーズー1)

(「特殊相対性理論の矛盾」に関しては、新たな知見を加え、非常にわかりやすく最新版のブログ『20世紀最大の物理学者の過ち』(2019/08/03)https://yoko3210go.muragon.com/entry/68.htmlにまとめてあります。
 なぜ、「波動方程式は、ガリレイ変換で、不変でないのか。」(ドップラー効果で、振動数と移動速度が変化している。)など、矛盾の本質を突いたまとめを行っています。
 上記ブログを読んでいただければ、よく理解いただけると考えておりますので、このブログよりも先に、上記ブログを読んでいただいたほうが、矛盾が明確になると考えられます。)


     運動する物体は、運動系ではない
 皆さんは、運動する物体は、「運動系」と考えている方がいると思います。私も最初は、「運動系」と考えていました。
 アインシュタインは、「特殊及び一般相対性理論について」(1916年)の著書の中で、座標系とガリレイ座標系について言及しています。
 アインシュタインの考え方では、棒や電車(剛体)に固着した座標軸を考え、この剛体が等速度で、直線的に移動していると、固着した座標軸をガリレイ座標系としています。
 この考え方は、同時性の否定で使った棒や、ミンコフスキー図の説明で使われた点の移動でも使われています。
 棒や点とともに移動する観測者がいると別の系の扱いになっているのです。 
 しかし、下記のような考察をすると、運動する物体や棒・点に座標軸をつけても、完全なガリレイ座標系には、ならないのです。
 それでは、このことについて考察してみましょう。
 地上(空気の存在下)を 棒を乗せた枠だけでできた電車と密閉された普通の電車が、速度Vで移動しているとします。

         

                図-1
 各電車の室内の観測者が、ボールを自然落下させると、図-1に示すように、枠だけでできた電車では、ボールが、放物線を描いて落下します。
 一方、普通の電車では、ボールは、観測者の足元に垂直に落下します。
 地上(軌道堤)にいる観測者が、ボールを落下させると、観測者の足元に垂直に落下します。
 地上と同じ運動法則になっているのは、普通の電車の室内のみです。
 普通の電車の室内だけが、ガリレイ座標空間なのです。
 普通の電車の窓から手を外に出し、ボールを落下させると、ボールが、放物線を描いて落下します。
 普通の電車の窓の外や、枠だけでできた電車や棒の周りの空間は、静止系の空間なのです。
 枠だけでできた電車や、棒に座標軸をつけても、周りの空間は、ガリレイ座標系にはならないのです。
 ガリレイ座標空間は、限られた範囲(密閉された室内)でしか存在しないのです。
 枠だけでできた電車の観測者が、静止系の空間の事象を観測すると、普通の電車に乗っている観測者と同じ事象を観測します。
 また、枠だけでできた電車が金属でできていたとして、この金属を伝わる振動(音)や熱の伝搬速度は、普通の電車の室内に置かれた金属と同じ伝搬速度になります。
 しかし、枠や棒だけで、周りの空間は、静止系の空間なのです。
 その観点からは、枠だけでできた電車は、疑似的な運動系といえるかもしれません。
 今の議論は、空気存在下の議論でしたが、真空中のガリレイ座標空間の関係と空気存在下のガリレイ座標空間の法則は、同じと考えられるので、この法則は、すべてのガリレイ座標系に適用できると考えられます。
 アインシュタインは、論文「運動物体の電気力学」(1905年)の中で、移動する点や棒と光を使用した思考実験で、同時性の否定や、ミンコフスキー図の作成を行っていますが、棒や点の周りの空間を運動系にして理論を構築しているのです。
 棒や点の周りは、静止系ですから、静止系の光を観測していることになり、静止系の観測者と移動する観測者が、同時に同じ静止系の光を観測していることになります。
 当然のことながら構築された理論には、矛盾があるはずです。
 この事柄を同時性の否定で使用された「時計の同期」を利用して検証してみましょう。
 アインシュタインは、「運動物体の電気力学」の中で 静止系を速度Vで移動する棒の両端に、静止系で同期した時計と観測者をつけ、静止系に光速度不変原理を適用して、時計の同期を行い、その時の時間を測定し、同期できないことから、同時性の否定を行っています。

         

                  図-2
 この状態で、棒とともに移動する観測者を運動系にしているのです。
 波動方程式が、ガリレイ変換で不変でないことから、真空系では、一つの波動方程式で表すことができるという考え方もできますが、その議論は、後のシリーズで議論することにし、運動系と静止系の観測者が観測する光の状態を見てみましょう。
 静止系と運動系が、明確になっていないので、移動する電車に棒を固定し、運動系と静止系を明確にした状態で、考察してみましょう。
 光は、静止系に光速度不変原理を適用しているので、静止系の光とします。

         

                 図-3
 時刻T₀(τ₀)で電車を速度Vで移動し、A点に対応したXa点より 光をB点に対応したXb点に向けて照射し、時刻T₁(τ₁)でB点に対応したXb₁に光が到達し、鏡で反射されて、時刻T₂(τ₂)でA点に対応した点に戻ったとします。
 この時、移動する観測者S・Tが観測する光の軌跡(別の系の光)と静止系の位置の状態を図-4・5に示します。
 観測者S・Tが観測するとS・Tがいた運動系が静止系になり、Pがいた静止系が運動系になります。

         

                 図-4
 図-4をまとめると図-5になります。

        

                 図-5
 観測者S・Tが、観測した場合、移動する観測者が静止し、周りの空間が移動することになります。(今まで、私は、この光の観測結果を間違えて観測していました。皆さんに多大な混乱を与えたかもしれず、前ブログをすべて撤去しようと考えましたが、他に重要な事柄も記載されているので、その部分のまとめ直しが済むまで、あえて、撤去をしないでおきます。)
 この時、移動する観測者S・Tが観測する光の軌跡の移動時間を見てみましょう。S・Tは、図-5の光の軌跡の状態を観測しているので、アインシュタインと同じように、光速度不変原理を適用すると、
  Δτ₁=τ₁-τ₀=L/C
  Δτ₂=τ₂-τ₁=L/C
を観測し、時計が同期しているのを観測します。(実際には、この時間を観測しないのですが、これについては、シリーズ2で説明します。)
 アインシュタインは、移動する観測者が観測する時間を
  Δτ₁=τ₁-τ₀=L/(C―V)
  Δτ₂=τ₂-τ₁=L/(C+V)
として計算しています。アインシュタインの結論と矛盾する結果が得られました。
 では、観測者Pが観測する光と電車の移動状態を見てみましょう。

         

                  図-6
 静止した観測者Pが観測する光の移動時間は、光速度不変原理を適用すると、
  Δt₁=t₁-t₀=L/(C―V)
  Δt₂=t₂-t₁=L/(C+V)
を観測し、時計が同期していないことを観測します。
 アインシュタインが、運動する観測者が観測する時間としたのは、この静止系の観測者Pが観測した時間だったのです。 静止系で観測した事柄と運動系で観測した事柄を混同したために、起こった現象です。
 アインシュタインは、静止系の観測者Pの観測時間を使用して、同時性の否定を行っていたのです。
 移動する棒の周りの空間を運動系として取り扱った時点で、運動系の事象と静止系の事象の区別ができなくなり、このような間違いを犯してしまったのです。
 静止系の事象と運動系の事象を明確にし、次のような考察をすると、特殊相対性理論の矛盾が明確になります。それでは、見てみましょう。
 移動する棒の同期を行うときに、同時に、静止した棒の同期を行い、その状態を見てみましょう。

          

                  図-7
 観測者S・Tが観測する光の軌跡は図-8のようになります。

         

                  図-8
 観測者S・Tが観測する棒CDを移動する光の移動時間は、
  Δτ₁=τ₁-τ₀=L/(C+V)
  Δτ₂=τ₂-τ₁=L/(C-V)
を観測します。
 観測者O・Pが観測する光の状態を図-9に示します。

         

                  図-9
 観測者O・Pが観測する棒CDを光が往復する時間は、2L/Cです。
 各観測者が観測する棒ABと棒CDを光が往復する時間を比較してみましょう。これを表―1にまとめます。        
           表―1 棒を光が往復する時間

   

 棒ABに関しては、
  S・Tの観測時間 2L/C  O・Pの観測時間 2LC/(C²-V²)
になります。棒C・Dに関しては、
  S・Tの観測時間 2LC/(C²-V²)  O・Pの観測時間 2L/C 
となり、棒ABに関しては、S・T(電車)の時間が遅れ、棒CDに関しては、S・Tの時間が進むという矛盾した結果が得られます。
 電車の時間が、ともに遅れるのならば、納得できますが、ちぐはぐな結果が得られているのです。このようなことは、物理の現象では、絶対に起こりません。
 これが、「系の錯誤」と「他の系の光に光速度不変原理を適用」による矛盾を明確に示した事柄です。
 このように、「特殊相対性理論」は、系の錯誤と他の系の光にも光速度不変原理を適用して構築されています。
 私が、今まで主張していた事柄は、この事柄を見ていただければ、納得していただけるものと思います。
 「特殊相対性理論」は、虚構の理論なのです。
 この矛盾の原因については、シリーズ2以降で 明確にしていきます。


 皆様のご意見・質問・反論等をお待ちしております。

特殊相対性理論が覆る三大矛盾


(「特殊相対性理論の矛盾」に関しては、新たな知見を加え、非常にわかりやすく最新版のブログ『20世紀最大の物理学者の過ち』(2019/08/03)https://yoko3210go.muragon.com/entry/68.htmlにまとめてあります。
 なぜ、「波動方程式は、ガリレイ変換で、不変でないのか。」(ドップラー効果で、振動数と移動速度が変化している。)など、矛盾の本質を突いたまとめを行っています。
 上記ブログを読んでいただければ、よく理解いただけると考えておりますので、このブログよりも先に、上記ブログを読んでいただいたほうが、矛盾が明確になると考えられます。)


 特殊相対性理論は、1905年に「運動物体の電気力学」が発表されてから、110年以上の長きにわたって、物理学者に支持されている事柄です。
 しかし、この理論には、理論が覆るような三つの大きな誤りがあるのです。
 空間認識が豊かでない方は、理解が難しいと思いますが、図等を入れ、なるべくわかりやすいように説明したので、ご理解いただけると思います。
 その誤りは以下の事柄です。これらの事柄について、アインシュタインの論文「運動物体の電気力学」の例等を引用しながら説明します。
 ① ガリレイ座標系の誤認識
 ② 光路と光の軌跡が認識できていない。
 ③ 光速度不変原理の静止系への適用


① ガリレイ座標系の誤認識
 「運動物体の電気力学」に記載されている「同時性の否定」で使われた「時計の同期」を例にし、説明します。
 静止系を速度Vで移動する長さLの棒の両端に、静止系で同期した時計と観測者を置き、棒を往復する光を考察し、(静止系に)光速度不変原理を用いて、移動する観測者が、時計を同期できないことから、同時性の否定を行っています。
 その状態を示したのが、図-1の上の図です。この時、比較のために 移動する電車でも時計の同期を行ってみましょう。

         

                  図-1
 聡明な物理学者の方は、図-1の上の図を見ただけで、棒とともに移動する観測者は、静止系の光を観察している事が分かると思います。光を音やほかの移動物体に変えると一目瞭然です。説明を続けましょう。
 この時、移動する観測者が観察する光の状態を 図-2に示します。
 運動する観測者が、観測するということは、移動する観測者が静止した状態で、光を観察することになるので、棒や電車は、止まった状態で、光や静止系の位置などが移動した状態を観察します。

        

                   図-2
 同じ速度で移動しているにもかかわらず、棒とともに移動する観測者と電車の中にいる観測者が、観測する光の光路は明らかに違います。
 この時、電車の外壁に観測者が張り付いていて、棒の光を観測したら、棒の観測者と同じ状態の光の光路を観測します。
 同じ速度で移動し、類似の光の挙動(距離Lの光の移動)をしているのに、観測者が、観察した光の状態が違うということは、運動している観測者が、異なった系の光を観察しているから起きている事象です。
 電車の中は、だれが見てもガリレイ座標系ですから、棒や電車の外の観測者は、静止系の事象を観測しているのです。 
 (静止系で)光速度不変原理を適用した時点で、光は、静止系の光を取り扱っていることになるのです。
 アインシュタインは、「特殊及び一般相対性理論について」(金子 務 訳)の中で、座標系とガリレイ座標系について言及しています。
 アインシュタインの考え方では、棒や電車(剛体)に固着した座標軸を考え、この剛体が等速度で、直線的に移動していると、固着した座標軸をガリレイ座標系としています。
 この考え方は、同時性の否定で使った棒や、ミンコフスキー時空図の説明で使われた点の移動でも使われています。
 棒や点とともに移動する観測者がいると別の系の扱いになっているのです。
 しかし、図-1・2から棒とともに移動している観測者は、静止系を移動し、静止系の光を観察しているがよくわかるとおもいます。
(ガリレイ座標系の考え方については、「物理学者の間違っている常識(シリーズ2)」で、別の角度から考察していますので参照してください。)
 当然のことながら、棒の移動と静止系の光の観測から、静止系と別の系との同時性の否定などできないのです。


 この時、移動する観測者が観測する光の移動時間を見てみましょう。
 棒や電車の外壁とともに移動する観測者は、
  τB₁-τA₀=(L+VΔτ)/c=L/(c-V)
  τA₂-τB₁=(L-VΔτ)/c=L/(c+V)
を観測し、時計は同期していないことを観測します。
 電車の中の観測者は、
  τB₁´-τA₀=L/c
  τA₂´-τB₁´=L/c
を観測し、時計が同期していることを観測します。
 観測している光の系が違うので、光路の長さが違い、計算値も違ってきます。
 アインシュタインは、棒とともに移動する観測者を運動系にし、棒とともに移動する観測者が時計の同期ができないことと 静止系の観測者が時計の同期をできることから 同時性の否定を行っています。
 しかし、棒や外壁とともに移動する観測者は、静止系を移動し、静止系の光を観測しているだけで、運動系の事象を観測していません。
 そこで、真の運動系である電車の室内にいる観測者の観測結果を用いると、静止系の観測者も、運動系の観測者も、時計の同期ができます。この時計の同期の観点からすると、静止系と運動系の同時性は、存在することになります。
 アインシュタインは、系を誤認識した状態で、同時性の否定を行っているのです。
 この系の誤認識は、特殊相対性理論の根底にある考え方で、特殊相対性理論の矛盾の一因になっていて、ミンコフスキー図の作成などでも、系を誤認識した状態で、理論展開が行われています。


② 光路と光の軌跡が認識できていない。
 これに関しても、図-1の時計の同期を利用して説明します。
 時計の同期での光の移動状態を 静止した観測者が観測したときの状態を図-3に示します。

        

                   図-3
 静止系の観測者は、棒も電車も同じような状態を観測します。
 この時、運動する観測者と静止系の観測者が観測する光を棒と電車に分けて、比較してみましょう。

        

                   図-4
 棒とともに移動する観測者も静止系の観測者も同じ光の状態を観測します。これは、静止系の同じ光を(光路)を観測しているから同じ光の状態を観測するのです。
 では、電車の中の光はどうなるのでしょう?図-5にその状態を示します。

        

                  図-5
 電車の中の観測者と静止系の観測者は、違う状態を観測し、棒の時とは、明らかに違う事が判ります。
 電車の観測者は、電車の中の光(光路の光)を観測していますが、静止系の観測者は、光の軌跡を観測しているからこのような違いが生じたのです。
 図-3のように並べると、同じような観測状態ですが、観測しているものが、光路と軌跡の差があるのです。
 それでは、静止系の観測者が観測する光の移動時間を見てみましょう。
棒を光が移動する時間は、
  tB₁-tA₀=(L+VΔt)/c=L/(c-V)
  tA₂-tB₁=(L-VΔt)/c=L/(c+V)
を観測し、時計が同期していないことを確認します。同じ光路の光を観測しているので、時計は違っても、棒や電車の外壁とともに移動する観測者と同じ時間を観測します。
 電車の中の光の移動時間は、どうなるのでしょう。棒の時は、同じ系にある光路の光ですから、光の移動速度は、cとすることができますが、棒の光と明らかに挙動が違う軌跡の速度をcとして計算できるのでしょうか?
 軌跡の速度をX・Yとして軌跡の速度を算出してみましょう。
  tB₁-tA₀=(L+VΔt₁)/X=Δt₁
  tA₂-tB₁=(L-VΔt₂)/Y=Δt₂
  X=L/Δt₁+V
  Y=L/Δt₂-V
となり、軌跡の速度は、cではなく、移動速度に依存した速度である事が判ります。
 電車の中の観測者が観測する時間は、往路復路ともにL/cで、一つの時間です。移動系の一つの時間が、静止系で二つの時間として観測されることはないので、
  Δt₁=Δt₂
にならなければなりません。
  X=L/Δt+V     Y=L/Δt-V
となり、光の軌跡は、移動速度の影響を受ける事が判りました。
 L/Δtの値として考えられ数値は、cやc±αなどが考えられますが、cとして、静止系で観測される光の移動時間を算出してみましょう。
  tB₁-tA₀=(L+VΔt)/(c+V)=L/c
  tA₂-tB₁=(L-VΔt)/(c-V)=L/c
となり電車の中の観測者と同じ時間を観測します。棒についても移動する観測者と静止系の観測者が同じ時間を観測しているので、整合性の取れた結果が得られました。
 このように観測すると、移動する観測者の時間の遅れなどない事が判ります。


 私もそうですが、皆さんも夜空の光を見て、この光は、光路(実際)の光とか軌跡の光とかを認識して観測せず、すべて同じ光として認識していると思われます。
 しかし、実際には、観測している光には、実際の光(光路の光・同じ系の光)と軌跡の光(系が違う光)があり、アインシュタインは、「運動物体の電気力学」の中で、これを認識しないで、すべて同じものとして、扱い理論展開を行っているのです。


③  光速度不変原理の静止系への適用
 このことについて、説明を行いますが、皆さんが理解しやすいように、波動方程式で表すことができる音を最初に考察し、その後、光について考察してみましょう。
 (音が波動方程式で表すことができることについては、「物理Tips ~波動方程式とガリレイ変換について~ KENZOU 2008年5月19日(http://hb3.seikyou.ne.jp/home/E-Yama/weqga.pdf)」を参照してください。)


 空気中に、速度Vで移動する長さLの電車があったとします。

                            図-6

 今、時刻t₀で電車のA点より音を出し、時刻t₁でB点に音が到達したとします。
 地上の観測者は、図-7のような状態を観測します。

        

                   図-7
 地上の観測者は、B´点に音が到達する時間を
  t₁-t₀=(L+vΔt)/(V+v)=L/v
として観測します。
 音は、定常状態の空気中をvで移動します。しかし、電車の中の音の地上での移動距離(軌跡とします。)の速度は、vとはなりません。
 この時の軌跡の速度(V+v)は、どのようにして計測したのでしょう。     
 A点とB´点の距離と移動時間等を計測などして、軌跡の速度を算出します。
 地上の観測者が、地上で直接観測する速度は、vしか観測できません。また、移動物体から出る音速も速度のいかんにかかわらず、vを計測します。
 アインシュタインの考え方を音に適用すると、移動する物体から出る音は、物体の速さや、方向に関係なく常に音速度vが観測され、波動方程式が、ガリレイ変換で不変でないので 静止系に音速度不変を適用し、音の軌跡(?移動距離)の地上での速度をvとしているのです。
 音は物理法則が分かっていますから こんなばかなことはしません。
 軌跡の距離は、移動速度の影響を受け、Lより長くなったり、短くなったりします。この長さの違いは、移動速度に依存していて、運動系の音の移動距離は実質的に、Lしか移動していないことになります。そして、軌跡の速度は、V+vになることを経験上から、皆さんは、知っていると思います。
 音の軌跡の速度が、V+vの速度なので、音とは違う性質のもので、音そのものではないのです。
 音の軌跡の速度を静止した観測者は、直接的には、観測する事ができません。 
 地上の観測者が直接観測する音速は、常にvしか観測できないからです。
 観測できる音の速度がvでも音の軌跡の速度は、V+vになるのです。
 以上の事柄を念頭において、光の軌跡の考察をしてみましょう。

        

                  図-8
 静止系(真空)に静止した観測者が観測する光の軌跡の観測状態と静止系を移動する光(光路の光)の観測状態を図-8に示します。
 観測者が観測できる光は、観測者に向かってくる光で、軌跡や光路の光を直接測定はしていません。この向かってくる光は、真空中を伝搬する光ですから、光速度は、常にcです。
 また、光路の光は、真空中を移動する光ですから速度は、cと定めることができます。
 しかし、電車の移動速度で変化する光の軌跡の速度は、音と同じように、移動速度に影響を受ける可能性が大きく、現在、測定されてはいません。
 軌跡の速度が、cでなくても、音と同じように直接観測できる光速度は、cなのです。
 アインシュタインは、連星の光の観測結果や波動方程式が不変でないことから、真空中の光速度は不変とし、「運動物体の電気力学」(1905)の中で、「静止系に光速度不変原理を適用」しています。
 真空中の光速度は、cでゆるぎ無い事実で、光速度不変原理は、否定できません。
 しかし、「静止系に光速度不変原理を適用」をするという意味は、光の軌跡の速度をcとして扱うということを意味しています。
 「光速度不変原理」と「静止系に光速度不変原理を適用」は、意味が違うのです。
 光の軌跡の速度は、一度も測定されていない数値で、音と同じように、静止した観測者が直接測定することはできません。(移動距離と時間を測定して算出するなどの方法)
 私もそうですが、アインシュタインや皆さんも、上空を横切る光を見たとき、これは、光路の光だとか軌跡の光だとか考えないと思われます。目視したときに、すべて同じ光として認識します。
 皆さんが、流れ星を観測したときに、流れ星の光の軌跡の速度をcとしますか?
 流れ星の光の軌跡の速度は、流れ星の移動速度と落下速度で決まることを、皆さんは、ご存じなので、決してcとはしません。
 音の観測結果を考えるとき、光の軌跡の速度が、光速度cでない可能性が高いのです。
 そして、ほとんどの人が、光の軌跡の認識を持っていないので、いまだかって、軌跡
の速度は、測定されていません。
 この軌跡の速度をcにしてしまうのが、「静止系に光速度不変原理を適用する」なのです。
 光の軌跡の速度は、音と同じように、移動速度の影響を受け、音と同じように、Lより長くなったり、短くなったりしていて、その長さは、移動速度に依存しています。軌跡の長さが変わっているのに、なぜ、音と同じように、移動速度の影響を考えないのでしょうか?
 ②の「光路と光の軌跡が認識できていない。」で、軌跡の速度をc±vとして算出しましたが、アインシュタインは、「運動物体の電気力学」の中で、静止系に「光速度不変原理を適用し」、この軌跡の速度をcとして、理論展開を行っているのです。
 当然のことながら得られた結論は、架空の理論なのです。
 これが、特殊相対性理論の実態なのです。
 物理学者の皆さん、「特殊相対性理論」の見直しをお願いします。


 私は、物理学者ではないので、私ができることは、このブログの内容を多くの物理学者の皆さんに見ていただき、その結果として「特殊相対性理論の矛盾」が、訂正されることを願っているだけです。
 もし、私と同じように「特殊相対性理論」に矛盾を感じた方は、多くのご学友やご同僚とこのブログの内容について議論していただき、より多くの物理学者の皆さんに、この矛盾を認知していただきたいと願っています。


 皆様のご意見・質問・反論等をお待ちしております。


 このブログは、前ブログ(完全崩壊した「特殊相対性理論」)を編集しなおしただけ
のものです。より多くの方にこの事実を周知していただきたくて、題名と順番を変え、
ほぼ同じ内容のものを掲載しています。

光の軌跡の速度は、光速度cではなかった

(「特殊相対性理論の矛盾」に関しては、新たな知見を加え、非常にわかりやすく最新版のブログ『20世紀最大の物理学者の過ち』(2019/08/03)https://yoko3210go.muragon.com/entry/68.htmlにまとめてあります。
 なぜ、「波動方程式は、ガリレイ変換で、不変でないのか。」(ドップラー効果で、振動数と移動速度が変化している。)など、矛盾の本質を突いたまとめを行っています。
 上記ブログを読んでいただければ、よく理解いただけると考えておりますので、このブログよりも先に、上記ブログを読んでいただいたほうが、矛盾が明確になると考えられます。)


1. 光速度不変原理を適用できない光の軌跡


 私もそうですが、皆さんも夜空の光を見て、この光は、光路(実際)の光とか軌跡の光とかを認識して観測せず、すべて同じ光として認識していると思われます。
 しかし、目視している光には、光路の光と軌跡の光があり、軌跡の光の速度は、光速度cではないのです。
 このことについて、説明を行いますが、皆さんが理解しやすいように、波動方程式で表すことができる音を最初に考察し、その後、光について考察してみましょう。
 (音が波動方程式で表すことができることについては、「物理Tips ~波動方程式とガリレイ変換について~ KENZOU 2008年5月19日(http://hb3.seikyou.ne.jp/home/E-Yama/weqga.pdf)」を参照してください。)


空気中に、速度Vで移動する長さLの電車があったとします。

                         

                図-1
 今、時刻t₀で電車のA点より音を出し、時刻t₁でB点に音が到達したとします。
 地上の観測者は、図-2のような状態を観測します。

                       

                図-2
 地上の観測者は、B´点に音が到達する時間を
  t₁-t₀=(L+vΔt)/(V+v)=L/v
として観測します。
 音は、定常状態の空気中をvで移動します。しかし、電車の中の音の地上での移動距離 (軌跡とします。)の速度は、vとはなりません。
 この時の軌跡の速度(V+v)は、どのようにして計測したのでしょう。     
 A点とB´点の距離と移動時間等を計測などして、軌跡の速度を算出します。
 地上の観測者が、地上で直接観測する速度は、vしか観測できません。また、移動物体から出る音速も速度のいかんにかかわらず、vを計測します。
 アインシュタインの考え方を音に適用すると、移動する物体から出る音は、物体の速さや、方向に関係なく常に音速度vが観測され、波動方程式が、ガリレイ変換で不変でないので 静止系の空気中の音速度は、「音速度不変」として 音の軌跡(?移動距離)の地上での速度をvとしているのです。
 音は物理法則が分かっていますから こんなばかなことはしません。
 軌跡の距離は、移動速度の影響を受け、Lより長くなったり、短くなったりします。この長さの違いは、移動速度に依存していて、運動系の音の移動距離は実質的に、Lしか移動していないことになります。そして、軌跡の速度は、V+vになることを経験上から、皆さんは、知っていると思います。
 音の軌跡の速度が、V+vの速度なので、音とは違う性質のもので、音そのものではないのです。
 音の軌跡の速度を静止した観測者は、直接的には、観測する事ができません。 
 地上の観測者が直接観測する音速は、常にvしか観測できないからです。
 観測できる音の速度がvでも音の軌跡の速度は、V+vになるのです。
 以上の事柄を念頭において、光の軌跡の考察をしてみましょう。

        

                  図-3
 静止系(真空)に静止した観測者が観測する光の軌跡の観測状態と静止系を移動する光(光路の光)の観測状態を図-3に示します。
 観測者が観測する光は、観測者に向かってくる光で、軌跡や光路の光を直接測定はしていません。この向かってくる光は、真空中を伝搬する光ですから、光速度は、常にcです。
 また、光路の光は、真空中を移動する光ですから速度は、cと定めることができます。
 しかし、電車の移動速度で変化する光の軌跡の速度は、現在、測定されてはいません。
 音と同じように、移動速度に影響を受ける可能性が大きいのです。
 軌跡の速度が、cでなくても、音と同じように直接観測できる光速度は、cなのです。
 アインシュタインは、連星の光の観測結果や波動方程式が不変でないことから、真空中の光速度は不変とし、「運動物体の電気力学」(1905)の中で、「静止系に光速度不変原理を適用」しています。
 真空中の光速度は、cでゆるぎ無い事実で、光速度不変原理は、否定できません。
 しかし、「静止系に光速度不変原理を適用」をするという意味は、光の軌跡の速度をcとして扱うということを意味しています。
 光速度不変原理と「静止系に光速度不変原理を適用」は、意味が違うのです。
 光の軌跡の速度は、一度も測定されていない数値で、音と同じように、静止した観測者が直接測定することはできません。(移動距離と時間を測定して算出するなどの方法)
 私もそうですが、アインシュタインや皆さんも、上空を横切る光を見たとき、これは、光路の光だとか軌跡の光だとか考えないと思われます。目視したときに、すべて同じ光として認識します。
 しかし、音の観測結果を考えるとき、光の軌跡の速度が、光速度cでない可能性が高いのです。そして、ほとんどの人が、軌跡の認識を持っていないので、いまだかって、軌跡の速度は、測定されていません。
 この軌跡の速度をcにしてしまうのが、「静止系に光速度不変原理を適用する」なのです。
 光の軌跡の速度は、音と同じように、移動速度の影響を受け、音と同じように、Lより長くなったり、短くなったりしていて、その長さは、移動速度に依存しています。軌跡の長さが変わっているのに、なぜ、音と同じように、移動速度の影響を考えないのでしょうか?
 軌跡の速度は、思考実験で算出できますが、それは、次の章でおこないます。
〔軌跡の速度の算出は、『誰にもわかる「特殊相対性理論の矛盾」(改訂版)』または、「物理学者の間違っている常識」(シリーズ1)に記載してあります。〕


2.ガリレイ座標系と軌跡の速度
 ガリレイ座標系と軌跡の速度について 「特殊相対性理論」のもっとも基礎となる「同時性の否定」で使われた時計の同期を用いて、説明します。
 アインシュタインは、静止系を速度Vで移動する長さLの棒の両端に、静止系で同期した時計と観測者を置き、(静止系に)光速度不変原理を用いて、同時性の否定を行っています。
 その状態を示したのが、図-4の上の図です。この時、比較のために 移動する電車でも時計の同期を行ってみましょう。

         

                  図-4
 聡明な物理学者の方は、図-4の上の図を見ただけで、棒とともに移動する観測者は、静止系の光を観察している事が分かると思います。光を音やほかの移動物体に変えると一目瞭然です。説明を続けましょう。
 この時、運動する観測者が観察する光の状態を 図-5に示します。
 運動する観測者が、観測するということは、運動する観測者が静止した状態で、光を観察することになるので、棒や電車は、止まった状態で、光や静止系の位置などが移動した状態を観察します。

      

                   図-5
 同じ速度で移動しているにもかかわらず、棒とともに移動する観測者と電車の中にいる観測者が、観測する光の光路は明らかに違います。
 この時、電車の外壁に観測者が張り付いていたとしたら、棒の観測者と同じ状態の光の光路を観測します。
 同じ速度で移動し、類似の光の挙動(距離Lの光の移動)をさせているのに、観測者が、観察した光の状態が違うということは、運動している観測者が、異なった系の光を観察しているから起きている事象です。
 電車の中は、だれが見てもガリレイ座標系ですから、棒や電車の外壁の観測者は、静止系の光を観察しているのです。 
 (静止系で)光速度不変原理を適用した時点で、光は、静止系の光を取り扱っていることになるのです。
 アインシュタインは、「特殊及び一般相対性理論について」(金子 務 訳)の中で、座標系とガリレイ座標系について言及しています。
 アインシュタインの考え方では、棒や電車(剛体)に固着した座標軸を考え、この剛体が等速度で、直線的に移動していると、固着した座標軸をガリレイ座標系としています。
 この考え方は、同時性の否定で使った棒や、ミンコフスキー時空図の説明で使われた点の移動でも使われています。
 棒や点とともに移動する観測者がいると別の系の扱いになっているのです。
 しかし、図-4・5から棒とともに移動している観測者は、静止系を移動し、静止系の光を観察しているがよくわかるとおもいます。
 当然のことながら、棒の移動と静止系の光の観測から、静止系と別の系との同時性の否定などできないのです。


 この時、移動する観測者が観測する光の移動時間を見てみましょう。
 棒や電車の外壁とともに移動する観測者は、
  τB₁-τA₀=(L+VΔτ)/c=L/(c-V)
  τA₂-τB₁=(L-VΔτ)/c=L/(c+V)
を観測し、時計は同期していないことを観測します。
 電車の中の観測者は、
  τB₁´-τA₀=L/c
  τA₂´-τB₁´=L/c
を観測し、時計が同期していることを観測します。
 観測している光の系が違うので、光路の長さが違い、計算値も違ってきます。
 アインシュタインは、棒とともに移動する観測者を運動系にし、棒とともに移動する観測者が時計の同期ができないことと 静止系の観測者が時計の同期をできることから 同時性の否定を行っています。
 しかし、棒や外壁とともに移動する観測者は、静止系を移動し、静止系の光を観測ているだけで、運動系の事象を観測していません。
 そこで、真の運動系である電車の室内にいる観測者の観測結果を用いると、静止系の観測者も、運動系の観測者も、時計の同期ができます。この時計の同期の観点からすると、静止系と運動系の同時性は、存在することになります。
 アインシュタインは、系を誤認識した状態で、同時性の否定を行っているのです。
 この系の誤認識は、特殊相対性理論の根底にある考え方で、特殊相対性理論の矛盾の一因になっていて、ミンコフスキー図の作成などでも、系を誤認識した状態で、理論展開が行われています。


 次に、この状態を静止系の観測者が観察したら、どうなるかを見てみましょう。

 静止している観測者は、光の軌跡と棒や電車の移動状態を下図のように観察します。
        

                  図-3
 ここで、アインシュタインと同じように、光速度不変原理を適用して 移動時間を見てみましょう。
 棒を光が移動する時間は、
  tB₁-tA₀=(L+VΔt)/c=L/(c-V)
  tA₂-tB₁=(L-VΔt)/c=L/(c+V)
を観測し、時計が同期していないことを確認します。時計は違っても、棒や電車の外壁とともに移動する観測者と同じ時間を観測します。
 この時、静止系の観測者が観測しているのは、静止系を移動する光路そのものを観測しているのです。
 静止系の観測者も棒や電車の外壁とともに移動する観測者も同じ静止系の光路の移動時間を観測しているので、同じ時間になるのは、当たり前の事柄です。


 次に、電車の光の軌跡の移動時間を見てみましょう。
 「光速度不変原理を適用する」ということは、静止系で観測される光速度は、cなので、運動系の光の軌跡の速度をcにしていることになります。
  tB₁´-tA₀=(L+VΔt)/c=L/(c-V)
  tA₂´-tB₁´=(L-VΔt)/c=L/(c+V)
を観測し、移動する棒の観測時間と同じ時間を観測しています。また、時計も同期していません。
 同じ速度で移動する観測者が違う時間を観測しているのに、静止系で観測すると同じ時間になってしまうのです。
 また、電車の中の観測者は、往路の時間と復路の時間は、おなじL/Cの時間を観測しているのに、静止系で観測すると違う時間になっています。
 同じ速度で移動する観測者が観測する異なった時間が、同じ時間になり、運動系で観測される一つの時間に対して、静止系で 時間が二つになることなど あり得ないことなのです。
 これは、電車の光の軌跡の速度に光速度不変原理を適用したために起こった事象と考えられます。
  tB₁-tA₀≠tB₁´-tA₀
  tA₂-tB₁≠tA₂´-tB₁´
  tB₁´-tA₀=tA₂´-tB₁´
にならなければならないのです。
 では、cの代わりに軌跡の速度をx・yとして 軌跡の速度を算出してみましょう。
  Δt=(L+VΔt)/x =(L-VΔt)/y  ‥‥(1)
  x=L/Δt+V   
  y=L/Δt-V
となり、軌跡の速度は、移動速度の影響を受けている事が判ります。
 L/Δtの値として考えられる数値は、c・c±α等がありますが、cとすると
 軌跡の速度は、c±Vとなります。
 このことより、光の速度も、一般の速度則と同じように他のガリレイ座標系の移動速度の影響を受けることが判りました。
 では、軌跡の速度を使用して、静止している観測者が、観測する電車の中の光の時間を再計算してみましょう。
  tB₁´-tA₀=(L+VΔt)/(c+V)=L/c
  tA₂´-tB₁´=(L-VΔt)/(c-V)=L/c
 以上のように考察すると、ここでも、ガリレイ座標間では、同時性は維持され、時間の遅れなどない事が判ります。
 時間の遅れの解説で、動く電車に垂直に立てた光時計を使って、説明しているものが
あります。この時、地上で観測される斜線部分は、光の軌跡であるので、この斜線部の
軌跡に光速度不変原理を使用し、軌跡の速度をcにすることはできないのです。
 ここの斜線部の光の軌跡に移動速度を合成すれば、時間の遅れなどなくなります。


 以上の事柄より、アインシュタインは、特殊相対性理論の根幹部分の思考実験で、
  系の誤認識
  軌跡と光路を認識できていない
  軌跡の速度に静止系に光速度不変原理の適用
という間違いを犯し、
  時間の遅れ
  同時性の否定
  ローレンツ因子の算出
  ミンコフスキー時空図の作成
を行っているのです。
 物理学者の皆さん。「特殊相対性理論」の見直しをお願いします。


[補 足]
(マイケルソン・モーリーの実験結果について)
 マイケルソン・モーリーの実験結果については、私自身が、間違った認識を持っていた事と他の物理学者の方も間違った認識を持っていましたので 簡単に説明します。
 マイケルソン・モーリーの実験は、当時、考えられていた固定エーテル説によるエーテル風の影響(c±v)を否定する実験結果が得られました。
 そこで、固定エーテル説に固執するローレンツらは、移動する物体は、収縮するとして、横方向の収縮を考え、固定エーテル説によるエーテル風の影響(c±v)が、あってもマイケルソン・モーリーの実験結果が得られるような理論を打ち出したのです。
 地球が収縮したら、必ず、移動方向の光速度は、c±vを観測しないと、マイケルソン・モーリーの実験結果が、成立しないのです。
 この事柄は、光速度不変原理と違う状態の光を観測する事です。
 また、マイケルソン・モーリーや物理学者の皆さんは、縦方向の光の光路を三角形の斜辺にしていることです。この三角形の斜辺は、光の軌跡であって、光の光路は三角形の垂直な部分です。
 マイケルソン・モーリーもローレンツもこの軌跡を光路として移動時間を計測し、横方向の光の光路の移動時間と比較していました。
 斜辺は、光の軌跡ですから、縦方向の移動時間が変われば、収縮率を変えないとエーテル固定説は維持できなくなります。
 また、実験装置は22.5°ごとに回転させ、測定を行っていて、この22.5°の角度での考察が行われていません。この角度が違った状態では、縦横の装置のエーテル風の影響が変わってくると考えられるので、角度の違った状態も考察する必要があります。
 それらを考えると、マイケルソン・モーリーの実験結果は、収縮など考えずに、どの方向の光速度も、cを観測すると考えることが妥当と考えられます。(「誰にでもわかる「特殊相対性理論の矛盾」を参照してください」)
 また、マイケルソン・モーリーの実験結果を考えたとき、絶対静止系に対して、どの位置(系)にいるかを考える必要があります。
 エーテル固定説の場合は、観測者がエーテルの中をそのまま移動すると考えられます。
しかし、現在、エーテル固定説は、否定されているようなので、どのような状態で移動しているかを考慮する必要があります。
 地上に例えると、地上をそのまま移動しているのと電車に乗って移動するのでは、観測結果が当然違ってきます。
 マイケルソン・モーリーの実験は、地球上で行われています。宇宙を考えたとき、地球は、ガリレイ座標系と考えられ、測定しているのは、その系の中なのです。
 空気に対する波動方程式は、一つしかありませんから、(特定波長の)空気中で光速度を測定すると、どの方向の光の速度も一定になります。このように考えると、マイケルソン・モーリーの実験結果は当たり前のことなのです。
 マイケルソン・モーリーの実験結果についても見直しが必要と考えられます。



 私は、物理学者ではないので、私ができることは、このブログの内容を多くの物理学者の皆さんに見ていただき、その結果として「特殊相対性理論の矛盾」が、訂正されることを願っているだけです。
 もし、私と同じように「特殊相対性理論」に矛盾を感じた方は、多くのご学友やご同僚とこのブログの内容について議論していただき、より多くの物理学者の皆さんに、この矛盾を認知していただきたいと願っています。
 皆様のご意見・質問・反論等をお待ちしております。


 このブログは、前ブログ(完全崩壊した「特殊相対性理論」)を編集しなおしただけのものです。より多くの方に周知していただきたくて、題名と順番を変え、ほぼ同じ内容のものを掲載しています。