特殊相対性理論は相対速度の理論

(はじめに)
 今までのブログで、特殊相対性理論の矛盾を指摘し、アインシュタインの系錯誤を説明しましたが、矛盾を感じても、まだピンとこない方もいると思います。
 今回、皆さんが完全に、納得できると考えられる矛盾点と指摘方法がまとまったので、ここにそれを記述します。
 前のブログでも矛盾は系錯誤だと指摘しましたが、特殊相対性理論の根本部分での系錯誤をより分かりやすく指摘しながら矛盾を説明します。


(相対性は維持される)
 アインシュタインは、「特殊及び一般相対性理論について」(1915 金子 務訳 白揚社)のなかで ガリレイ座標について言及しています。
 その中で、運動する棒や電車(剛体)に固着した座標軸を考え、棒や電車を基準体とし、周りの空間をガリレイ座標系にしていました
 電車や船の周りの空間は、当然のこととして、運動系の物理法則は、維持されません。
静止系の空間と運動系の空間が同時に存在することは、系間の運動法則が違うので絶対にありえないことです。
 この矛盾に関する端的な記述が、この本のP33~34に記載されています。このなかで、軌道堤を速度ⅴで移動する列車と軌道堤に沿って送った光を使い、列車に相対する光速度Wを求めています。(相対速度
  W=C-V

                              

 そして、アインシュタインは、次のような考察をしています。
『相対性原理によれば、真空中の光の伝搬法則はすべての他の一般法則と同様に、列車を基準体としようがレールを基準体としようが、同じことにならねばならない。………
光線が堤防に関して速度Cで伝搬するとすれば、まさにそのことのために、列車に関する光の伝搬法則はこれとは別のものにならなければならない――すなわち相対性原理と矛盾する。』
 この光を音に変えれば、すぐに分かりますが、レールに沿って送った音は、列車とは違うガリレイ座標系(別の運動法則を持ったところ)で起こっている事柄です。(運動法則が維持されるのは列車の中だけです。)違っていて当たり前なのです。その列車を基準体として座標軸を固着させてもガリレイ座標系にはならないのです。電車の中だけがガリレイ座標空間なのです。
 電車の中にも光を照射し、電車からその光を観測したらどうなるのでしょうか?電車の中にも光を照射して考察してみましょう。

         

 速度Vで移動する電車の外側に観測者Lが張り付き、内部に観測者Oが居たとします。そして、軌道堤と電車の内部にも光を照射します。
 電車内部はOにとって静止系なので、Oは電車内部の光の伝搬速度Cを観測します。
 一方電車の外に張り付いているLが観測する光は、軌道堤の光なので電車に相対する速度 W=C-V を観測します。
 列車を基準体にするということは、O視点の観測を行うことであり、L視点の観測を行うことではありません。
 地上の観測者が観測するのは、地上の光と電車との相対速度(L視点)で、電車内部の状態を観測したものではありません。
 このようにガリレイ座標系に注目して考察すると、相対性原理は維持されるのです。特殊相対性理論は、L視点(相対速度)の理論なのです。
 Oが同時に内部の光と外部の光を観測したら、挙動の違った二つの光を観測するのです。
 アインシュタインの文章をよく読むとこのような矛盾があちこちで見られます。系の認識を持ち、この現象はどの系の現象かを認識し、両方の系に光を照射して読むと、間違いがよくわかります。
 電車から軌道堤の光を考察しましたが、軌道堤から電車の中の光を観測したらどうなるのでしょう?(電車を静止系にし、地上を運動系にすれば、同じ観測をできます。)地上に対する相対速度は、電車と同じ方向の光は
 W=C+V 
で、電車と逆方向の光は、
 W=C-V
を観測するのではないでしょうか?


 アインシュタインは、列車や棒に座標軸を固着させることにより、静止系と同じ空間を同時に別々のガリレイ座標系が共有するという考え方をし、一つの光線について静止系で光速度不変原理を適用します。そして、その光線の挙動を運動系のガリレイ座標の事象として考察しています。
 静止系の光速度不変原理を適用することにより、その時点で光は静止系の光になってしまうのです。そして、運動系の事象として考察すると、静止系の光に対する相対速度を考察していることになるのです。
 アインシュタインは、軌道堤の光と電車には、相対速度の考え方をしたのに、電車の中の光と軌道堤には、なぜ、相対速度の考え方をしなかったのでしょう?
 この考え方は、特殊相対性理論の最も基本となる最初の文献でも見られるので、それを紹介し、矛盾点を明確にします。


(同時性は維持される)
 アインシュタインの論文「運動物体の電気力学」(1905年)(アインシュタイン論文選 「奇跡の年」の5論文 青木 薫訳 ちくま学芸文庫)のP259~260で同時性の否定を行っています。ここでは光を使った時計の同期を利用して議論が進められています。
 まず、時計の同期を説明します。
 A点とB点に時計があったとします。A点の時計の時刻がTA₀のときにB点に向かって光を照射し、B点の時計の時刻がTB₁の時に光が届き、鏡で反射されてA点の時計の時刻がTA₂の時に戻ってきたとします。このとき
  TB₁-TA₀=TA₂-TB₁ 
が成り立つとき二つの時計は同期していると定義しています。
 つぎに、アインシュタインの同時性の否定を見てみましょう。
 長さLの棒ABの両端に同期した時計を設置し、棒の両端に棒とともに移動する観測者L・Mを配置し、棒を速度Vで移動させます。

         

 LとMの観測者が時計の同期を行いました。時刻 TA₀でAより光を照射し、時刻 TB₁でBに到達し、鏡で反射され、時刻 TA₂に戻ったとします。
 このとき、光速度一定の原理を考慮すると
   TB₁-TA₀=L/(C-V)    TA₂-TB₁=L/(C+V)
となり、棒とともに移動する観測者L・Mは、二つの時計はあってないと主張するのに対して、静止系の観測者は、二つの時計はあっていると主張します。
 そして、アインシュタインは、次のような結論をしています。
『このことから、同時性というものに絶対的な意味は与えられないことがわかる。二つの出来事が、ある座標系では同時刻に起こったように見えても、その座標系に対して運動している別の座標系では、もはや同時刻の出来事とは考えられないのである。』
 ここに別の座標系(運動系のガリレイ座標空間)は存在するのでしょうか? 皆さんも考えてください。
 この状況で、静止系において速度vで等速運動するピストルの弾があったとします。AがBに向けてピストルを撃った時、Bに速度ⅴで届くでしょうか?届かないですよね!
 運動系の物理法則が維持されない空間なのです。
 アインシュタインは、運動する剛体(棒・電車etc.)に固着する座標系を考え、運動する棒の周りの空間をガリレイ座標空間としているのです。
 ではこの状態に、本来の運動するガリレイ座標空間を付け加えて時計の同期を見てみましょう。

      

 一片の長さがの密閉した箱の底辺の一辺の両端をA・Bとして時計をつける。箱の内部の同じ位置にも時計を置き、4個の時計を同期し、合わせます
 箱の外側のA・Bに観測者LとMが張り付き、箱の内部のA・Bに相当した位置に観測者O・Pが張り付き、箱を速度Vで移動し、時計の同期を行う。(箱の内部にも光を照射します。) 箱内部の観測者O・Pは、次の時間を観測し、時計は同期していると主張します。(O・Pから見ると箱の内部が静止系)
  TB₁-TA₀=L/C     TA₂-TB₁=L/C
 一方、箱の外の観測者L・Mは、アインシュタインの考え方と同じ時間を観測し、時計は同期していないと主張します。
  TB₁-TA₀=L/(C-V)  TA₂-TB₁=L/(C+V)
 観測者L・Mは静止系の光を観測していることになり、箱のA・B点に対する相対速度を測定したことになます。運動するガリレイ座標の内部の挙動は見ていないことになります。(静止系の光が移動する棒を往復したときの状態を観察しているのです。)
 当然のことながら、箱の内と外の時計はあっています。
 アインシュタインは、箱をとった状態で、あたかもL・Mが静止系とは別の座標系になると考え、運動系に対する静止系の光の相対速度を使用して、同時性の否定を行っているのです。
 正しい系認識をすれば、同時性は維持されていることがわかります。
 運動するガリレイ座標系で内部と外部を同時に観察すると、静止系の光と運動系の光では、挙動が違うのを確認することができます。
 アインシュタインは、一つの光線を使い、光速度不変原理のもとに光速度Cを当てはめ、議論を行っているのです。この光速度不変原理を当てはめることにより、光線は、静止系の光になってしまうのです。
 アインシュタインの思考実験では、一つの光しか使用していないので、文献等を読むときは、常に静止系と運動系の光を念頭に置いて読み進み、視点を変えると矛盾していることがよくわかります。
 つぎに、この論文「運動する物体の電気力学」の特殊相対性理論のベースとなる最も重要な部分での間違いを指摘します。(p261~265)
 ここでは、運動系kで起こった出来事の場所と時刻を指定する値(ε,η,ζ,τ)に対して静止系Kを指定する値(x,y,z,t)とを関係づける連立方程式を求めています。そして、
  X´=x-vt
とおき、τを、(X´,y,z,t)の関数として求めています。


 時刻τ₀に速度Vで移動するk系の原点からX軸に沿って放出された光線がX´に向かい、時刻τ₁にX´で反射されて原点に向かい、時刻τ₂に原点に戻ったとします。
 このとき、
  1/2(τ₀+τ₂)=τ₁                   ‥‥‥‥‥(1)
がなりたたなければならず、関数τの引数を入れ、静止系で光速度一定原理を用いると、
 1/2[τ(0,0,0,t)+τ(0,0,0,{t+X´/(C-V)+X´/(C+V)})]
 =τ[X´,0,0,t+X´/(C-V)]             …‥‥‥‥(2)
としています。


 この事柄は、アインシュタインが行った、速度Vで移動する長さLの棒AB に時計を置き、同期を調査したのと同じ状態で、Aを運動系(k系)の原点にし、B点をX´に置き換えた状態と同じです。時刻τ₀がTA₀に相当し、τ₁がTB₁に相当し、τ₂がTA₂に相当するのです。前述の箱のA点に運動系の座標軸を立てたと考えてください。

         

(2)式を見てみましょう。(2)式のx´は長さLに相当しますので、
   X´/(C-V)=L/(C-V)=TB₁-TA₀   
   X´/(C+V)=L/(C+V)=TA₂-TB₁ 
となり、同時性の否定の時に使われた、静止系の光が移動する棒を往復したときの数値(相対速度)がそのまま使われています。
 静止系の光と運動系の挙動が違うことを考察しましたが、光に光速度不変原理を適用することで、光は静止系の光になってしまったのです。
 今までの考察で、静止系に対する運動系の光の相対速度は、(C+V)や(C-V)と推測したので、静止系で観測される運動系の光の値を使って、(2)式を書き直してみましょう。
  TB₁-TA₀=L/(C+V-V)=L/C   
  TA₂-TB₁=L/(C-V+V)=L/C
ですから(2)式は
 1/2[τ(0,0,0,t)+τ(0,0,0,{t+X´/C+X´/C})]
 =τ[X´,0,0,t+X´/C]                 ‥‥‥‥(2´)
となります。
 そして、式を展開して得られる結論は特殊相対性理論とは、全然違ったものになります。
 アインシュタインは、この運動系に相対した静止系の光速度(相対速度)を使った(2)式を展開し、下式を導き出しています。
  Ζ=φ(V)β(x-vt)
  β=1/√{1-(v/C)²}
そうです。 ローレンツ因子です。
 このように、特殊相対性理論は、系の認識を誤って導き出された相対速度の理論なのです。
 運動する棒に座標軸を固着させても、周りの空間は、ガリレイ座標系にはならない
のです。
 ガリレイ座標間で相対性は維持されるのです。
 静止系で同時な事象は、運動系でも同時なのです。同時性は維持されるのです。
 ガリレイ座標系の光は、その系の動きに対応した動きをするのです。 
 特殊相対性理論で導き出されたローレンツ因子は、相対速度から導き出されたものなのです。
 この系認識錯誤と光速度不変原理により、運動系の光の速度をCとすることが、特殊相対性理論の矛盾の根源なのです!( `―´)ノ


 アインシュタインの考察が正しかったら、下記のような矛盾は絶対に起こらないはずです。
 静止系で全て同期してあり、同じ時刻を表示するように設定されている長さLの光時計を3個使用し、速度Vで移動する電車に図のように設置します。

          

 Mから出た光はABCで反射され、Mに戻り、Mに戻った時にMに設置したフラッシュが点灯するようにします。
 電車に乗っている観測者は、各光が2L/C時間後にMに到達し、フラッシュが、一回光るのを観測します。
 一方、地上にいる観測者は、特殊相対性理論に準じた光の軌跡の観測を行うとA・Cの光はMに2LC/(C²-V²)時間後に到達し、Bの光は2L/√(C²-V²)時間後に到達し、フラッシュが、二回光るのを観測することになるのです!
 現代科学の常識では考えられない、一つのものが二つに分かれてしまうのです。
 光時計の角度を変えると電車の光時計の2L/Cの時間が地上では
  2LC/(C²-V²)~2L/(C²-V²)
の間で、無数の時間が観測されるのです。
 皆さんは、この現象に疑問を持ちませんか?
 運動系の一つの時間が、静止系で無数に観測されるなんてどう考えてもおかしいですよね!!
 この矛盾は、光速度不変原理の下に、運動系の光の軌跡(相対速度を持つ)をCとして取り扱っているから起こった現象です。運動系の光と静止系の光は別の挙動をするのです。運動系の光の速度(軌跡)をCにして議論はできないのです。
 さらに、MよりA・B・Cの各点に到達する時間を考察するとおかしい現象が判ります。電車の観測者は(電車を静止系と考えればよいのですから)L/C時間後に各点に光が到達するのを確認します。
 一方、地上の観測者は、L/(C+V)、 L/√(C²-V²)、 L/(C-V)の時間を観測し、これは、電車の中のA地点は時間が進むことをいみします。
 光時計の角度を変えるとL/(C+V)~L/(C-V)の間で、無数の時間を観測することになるのです。L/(C+V)~に関しては「運動する時計が進む」という現象が生じてしまうのです。
 しかも、時間の遅れはT×√1-(V²/C²)のはずなのに、ミンコフスキー図で分かるように、電車の場所によって時間の進みや遅れがあるのです。
 なぜ、「運動する物体の時計は進む場所と遅れる場所」があるとしないのですか? 皆さん何かおかしいと感じないですか?
 止まっている電車の前・中央・後ろに光時計を設置し、同期し、合わせます。電車を速度Vで動かし、時計を作動させます。

       

 速度Vで動いた後に、地上で観察する各々の光時計の進み方に違いはありますか?
 ミンコフスキー時空図の同時刻線の傾きからすると、進み方に差が出るはずなのですが、差の説明ができる方がいらっしゃったら、教えてください。
 矛盾を指摘するとまだまだありますが、このくらいにしときましょう。


(マイケルソン、モーリーの実験結果とマックスウェルの波動方程式について)
 「運動系の光と静止系の光は挙動が違う。」に関して問題になるのは、「マイケルソン,モーリーの実験結果」と「光の波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと」と考えられます。これについて考察してみましょう。
 まず、マイケルソン,モーリーの実験結果について考えてみましょう。
 マイケルソン,モーリーの実験結果は、この時代、主流だった固定したエーテル理論を覆す結果で、エーテル中での光の相対速度を求めようとして行われている実験です。
 ここで出てきたのが、収縮説・エーテル随伴説などですが、ガリレイ座標系を扱ったので、ガリレイ座標系の考え方をしてみましょう。宇宙を考えた時、地球の大気圏はガリレイ座標系でしょうか?
 この答えは皆さんも「イエス」だと思いますが、地球がガリレイ座標系ならば当然のことながら、この地球を静止系と考えたとき、普通の物理法則が維持されます。では光はどうでしょうか???
 当然、地球を静止系と考えれば、空気中でのマックスウェルの波動方程式が適用されるので、光速度はどの方向も同じになります。マイケルソン,モーリーの実験結果は、ガリレイ座標系やエーテル随伴説を考えたとき、当たり前の結果なのです。
 相対性や同時性の記述の中で、LとO視点の記述をしましたが、マイケルソン,モーリーの実験は、O視点の実験結果なのです。L視点での実験はいまだかって行われたことはありません。相対速度WがC-Vということは、光の速度は観測者(L)の移動速度の影響を受けていることになるのです。

            

 地球の大気圏を電車の中と想定してください。電車の中では、光の伝搬速度に方向性は、見出せません。しかし、電車の外側で測定したら、方向性があるかもしれません。(Lの視点で光速度を測定する。)
 地球の大気圏外で長い物干し竿に測定器をつけて、光の方向性を調べたら、方向性があるかもしれません。しかし、このような実験(L視点の実験)はいまだかって行われたことはありません。
 地球の大気圏内(電車の中)と大気圏外では、光は別の光速度を持っている可能性が高いのです。
 マイケルソン,モーリーの実験結果が出た時代は、「固定したエーテル理論」が主流で、マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと等も加味され、「エーテル」の中を移動しているにもかかわらず、光の速度は観測者の移動速度の影響を受けないと考えられたのでしょう。(アインシュタインは、同時性の否定の時に、観測者L・Mが観測した光速度は、Cではなかったのですが?)
 しかし、「ガリレイ座標系」や「エーテル随伴説」を考えた場合、マイケルソン,モーリーの実験結果が光の速度は観測者の移動速度の影響を受けないという結論とは、直接結びつかず、当たり前の結論になるのです。
 観測者の移動速度に影響されるとすると、ここで問題になるのが、「マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと」です。
 これに関しては、KENZOU氏が、次のブログで音波の波動方程式を求め、光の波動方程式と比較しています。 【 有機合成を専攻した私は、まだ勉強したことがない事柄なので、詳細は次のブログを参照してください。
「物理Tips ~波動方程式とガリレイ変換について~ KENZOU 2008年5月19日(http://hb3.seikyou.ne.jp/home/E-Yama/weqga.pdf)」 】


 そして、この音波の波動方程式もガリレイ変換で不変でないことを説明し、その解を求めています。
   ρ(x,t) = f(x´−(v−V)t´)+g(x´+(v +V)t´)  [式 18]
 この解は音波の伝搬速度が、正と負の方向で変化する。つまり、空気に対して速度Vで動いている観測者からは、音波はx軸の正の向きに速度v-Vで進み、逆の方向には速度v+Vで進むということを言っているにすぎないとしています。
 一方、光に関しては、マックスウェルの波動方程式もガリレイ変換で不変でないが、音波と同じ挙動を示すことを証明しています。
そして同じように解を求めています。
   φ(x´,t´) = f(x´−(c−V)t´)+g(x´+(c+V)t´)  [式 21]
 この解は、光の伝搬速度が、正と負の方向で変化する。つまり、真空に対して速度Vで動いている観測者からは、光はx軸の正の向きに速度c-Vで進み、逆の方向には速度
c+Vで進むということを言っているとしています。
(KENZOU氏は、マイケルソン,モーリーの実験結果は、『真空中での光の速さは観測者の運動状態が変わっても、光の進む方向によらず一定である。』として、この結論を棄却しています。)
 音の波動方程式は、ガリレイ変換で不変ではありません。しかし、音はそれぞれのガリレイ座標系内では、同じ法則に従います。波動方程式のガリレイ変換が不変でなくてもガリレイ座標間で法則が維持される場合があるのです。
 光はどうでしょう?音と同じように考察すれば、『ガリレイ座標間で光速度の法則が維持されていて、真空中での光の速さは観測者の運動状態が変わると、光の速度も観測者の速度の影響を受ける。』と考えてもおかしくはありません。
 マイケルソン・モーリーの実験は空気中に静止して測定しているので、いまだかって真空中や空気中を直接移動しての光速度の測定は行われていません。
 しかし、音と同じように光も真空に対して速度Vで動いている観測者からは、光はx軸の正の向きに速度c-Vで進み、逆の方向には速度c+Vで進むと考えると思考実験の考察に合致し、光時計の矛盾も解決します。
 光速度不変原理の『真空中の光の伝搬速度は互いに等速度運動している観測者に対して
観測者の速度によらず常に一定である』はマイケルソン・モーリーの実験と「波動方程式が不変でないこと」から導き出されたものと考えられますが、これにこだわらず柔軟な考え方で、物事を考察していただければ、特殊相対性理論の矛盾をわかっていただけると考えています。
 特殊相対性理論は相対速度から導き出された虚構の理論なのです。


(あとがき)
 この矛盾に気づいたのは、十数年前に特殊相対性理論の解説書を読んだときでした。その中で電車に垂直に設置した光時計を使用して「運動する時計の遅れ」が説明されており、最初は納得しましたが、半信半疑でした。
 他の物理現象では、図のような軌跡を描く物体の動きがLに到達する時間はL/CでVの速度に依存しないはずなのに、光の場合だけ、軌跡の長さをCで割っていて、光だけは特殊な扱いになっていました。

               

 なぜ、光だけ特殊なのだろうといろいろ考えました。(物理学者の皆さんは、こんな事考えないのですかね?)いろいろ考え、「光時計の角度を変えたらどうなるのかな?」と考えたところ、時間の遅れに、バラツキが出る事が判り、やはり、何かおかしいことに気が付きました。
 物理専攻ではない私が、気が付き、ネットでも矛盾を指摘するものが見受けられたので、そのうち理論が覆されるだろうと思っていました。
 しかし、去年ネットで調べたところ、特殊相対性理論は、数々の矛盾が指摘されているにも関わらず、いまだに、多くの物理学者の方々に受け入れられていました。
 なぜ、矛盾が指摘してされているのに、この理論が受け入れられているかというと理論の根底部分の間違いを指摘できないがために、この理論が100年以上の長きに亘って 物理学者に受け入れられているのです。
 有機専攻の私が、このようなことをやらなくてもと考えましたが、科学をかじった人間なので、間違った理論が世間に受け入れられているのに、我慢ができなくなり、去年の8月に、「ブログ村」にブログを立ち上げ、物理学者の先生方に矛盾に関する頓珍漢な質問を繰り返し、特殊相対性理論の書物を何冊か読み、根本的な間違いを見つけました。
 アインシュタインの論文等は、非常に読みにくい文章校正で、内容を理解しようとし、内容に疑いを持たずに読むと納得してしまう事柄が書いてあります。
 しかし、間違いに気づいて読むとおかしな理論展開をしていることがよくわかります。
 間違いは、「エーテル理論」(光を伝搬する媒体)より派生した『マイケルソン、モーリーの実験結果の考察方法の間違い』より派生した『光速度不変原理』と「系」の認識錯誤で、この間違いを指摘できないことから、いまだに多くの物理学者の皆さんが受け入れているのが現状です。
 私は、いろいろ思考実験を繰り返し、特殊相対性理論に精通した先生に質問しました。
 ブログを始めたときは、AM・CMの光時計のみを使い、時間が同じだからA・Cに同時に到達すると考え、物理学者の先生に質問しました。
 すると、ミンコフスキー図を示され、「同時ではないよ」と言われ、見たこともない図を見て納得しかかりましたが、光時計の角度を変えると時間が変わることが納得できないために、特殊相対性理論に関する書物を何冊か買い、それを読みました。
 そして、物理学者の先生に頓珍漢な質問を繰り返し、根本的な間違いを見つけるとともに、どうしたら特殊相対性理論を信じている学者さんを納得させられるかを考えました。
 そして同時ではなく、時間の矛盾を指摘すれば、納得させられると考え、上述の光時計の矛盾を考えました。
 このような文章をあらたに、シリーズに分けて投稿しようとしていました。私も矛盾を指摘する先生方と同じく、そのシリーズ(実際には出していません。)ではただ矛盾を指摘しているだけで、根本的な矛盾を適切に指摘していなかったのですが、今回の投稿は、特殊相対性理論の根本的な矛盾をそれなりに適切に指摘できたと考えています。 
 『光速度不変原理』を覆すのは、「天動説」を「地動説」に変えるくらい非常に困難なことと思いますが、(今は、裁判で火あぶりにされませんが。)せめてヒビを入れられたらと考えています。
 物理学を専攻していない自分が、「何故こんなことをやらなくてはならないんだ?」と自問自答し、「めんどくさいから」止めようとしました。
 しかし、科学をかじったことがあるので、間違った理論が物理学に多大な影響を与えているのを見て、なぜかやってしまいました。
 これを読まれた方は、科学者の方々と思われます。あなたも疑問に思ったら、それを解決するように努力してください。科学の発展のために!
 物理学者の皆さんの「反論・質問・ご意見」をお待ちしています。議論を行うことは、いろいろな見方ができ、真実が出てくると考えているので、皆さんの反論等をお待ちしています。

特殊相対性理論の矛盾点(物理学者も答えられない)


(「特殊相対性理論の矛盾」に関しては、新たな知見を加え、非常にわかりやすく最新版のブログ『20世紀最大の物理学者の過ち』(2019/08/03)https://yoko3210go.muragon.com/entry/68.htmlにまとめてあります。
 なぜ、「波動方程式は、ガリレイ変換で、不変でないのか。」(ドップラー効果で、振動数と移動速度が変化している。)など、矛盾の本質を突いたまとめを行っています。
 上記ブログを読んでいただければ、よく理解いただけると考えておりますので、このブログよりも先に、上記ブログを読んでいただいたほうが、矛盾が明確になると考えられます。)


1. 光時計の矛盾
2. ガリレイ座標間で同時性は維持される
3. 時空図の矛盾
4. ミューオンの時間の遅れの矛盾
5.「マイケルソン,モーリーの実験結果の考察とガリレイ座標系」の矛盾
   および音波と光の波動方程式について


1.光時計の矛盾
 特殊相対性理論において、運動する物体の時刻の遅れは光時計を使用して、説明されています。この光時計を使用して、考えられないような出来事が起こるのを説明します。
 静止系で全て同期してあり、同じ時刻を表示するように設定されている長さLの光時計を3個使用し、速度Vで移動する電車に図-1のように設置します。

         

                      図-1
 Mから出た光はABCで反射され、Mに戻り、Mに戻った時にMに設置したフラッシュが点灯するようにします。 
 電車に乗っている観測者(電車を静止系と考えればよいのですから)は、各光が
  2L/C時間後にMに到達し、フラッシュが、一回光るのを観測します。
 一方、地上にいる観測者は、特殊相対性理論に準じた光の軌跡の観測を行うとA・Cの
 光はMに2LC/(C²-V²)時間後に到達し、
 Bの光は2L/√(C²-V²)時間後に到達し、フラッシュが、二回光るのを観測することになるのです。
 現代科学の常識では考えられない、一つのものが二つに分かれてしまうのです。
 光時計の角度を変えるとさらに違った時間が観測されるのです。
 電車の光時計の2L/Cの時間が地上では2LC/(C²-V²)2L/√(C²-V²)の間で、無数の時間が観測されるのです。
 つぎに、MよりA・B・Cの各点に到達する時間を考察してみましょう。電車の観測者は、L/C時間後に各点に、光が到達するのを確認します。
 一方、地上の観測者は、L/(C+V)・L/√(C²-V²)・L/(C-V)の時間を観測し、光時計の角度を変えるとL/(C+V)~L/(C-V)の間で、無数の時間を観測することになるのです。しかも、~L/(C+V)に関しては電車の時間が進むという現象を生じてしまうのです。
 これに疑問を感じない科学者は、いないと思いますが、皆さんはどのように考えますか?????


 特殊相対性理論では「運動する時計の遅れ」はT×√〔1-(V²/C²)〕なっていますが、上の現象を説明できない限り、真の時間の遅れは判らないと考えられます。
 ある物理学者さんは、このことについて、特殊相対性理論で扱われている「運動する物体は縮む」という現象を考え合わせても 明確な回答をすることはできませんでした。
 いろいろ調べると、この矛盾の原因は、ただ単純に特殊相対性理論で扱っている『光の速度の考察方法(考え方 光速度不変原理)が間違った。』ために起こった現象です。
 光速度不変原理が違うなど、皆さん考えも及ばないですよね。何しろ『原理』ですから、物理学者でない私が気付くくらいだから、「特殊相対性理論は否定されているかな?」とネットで調べましたが、相対性理論より導き出される現象についての矛盾を指摘する学者さんは、おりましたが、根本を指摘する学者さんはいないので、特殊相対性理論は、いまだに広く受け入れられているようです。
 考察方法が間違っていなければ、同じ時間が観測されるはずで、一つのものが無数に分かれるというような現象は絶対起きません。
 物理学者のかたは、ミンコフスキー時空図を引き合いに出して 光はこの図のようなっているからこの図を見ればわかるとおっしゃいますが、光の速度の考察方法を間違って出された図を使ってもこの現象の説明にはなっていませんでした。(説明できないので、ミンコフスキー時空図に逃げていたのだと思われます。)
 ここで、この矛盾点をそのままにして、「運動する時計の遅れ」は
 T×√〔1-(V²/C²)〕という人は、本当の科学者ではないと思うのですが、矛盾点について真剣に討議し、その矛盾を解決しないままに、自分の知識以外のことを考えないようでは、科学の発展はないと思うのですが皆さんは、どのように思いますか?


 この間違った光の速度の考察方法に関しては、長い物理学の歴史をたどる必要があります。「エーテル理論(光の媒質)・マイケルソン・モーレーの実験結果・マックスウェルの波動方程式が不変であった」ことなどから、アインシュタインは、ガリレイ座標系の誤った認識から特殊相対性理論を提言したようです。(5で説明)
 2LC/(C²-V²)の考え方で導き出された1/√[1-(V/C)²]は特殊対性理論の中では非常に重要な数値でいたるところで使われています。
 特殊相対性理論は、現代科学に多大な影響を与え、この理論の根本が、間違っていたなど誰も考えず、当たり前の理論になっているので それを覆すのは、天動説を地動説に変えるくらい非常に困難なことと思われますが、少しでもヒビを入れられたらと思いこれを書いてみました。



                
2.ガリレイ座標間で同時性は維持される
「アインシュタインの相対性理論」(M・Born著、林 一訳、東京図書)のⅥ章 アインシュタインの特殊相対性理論(p203~205)において、船とはしけを使って、『絶対同時性の否定』を行っていますが、ここで、その矛盾を説明します。
 この例は、音を使っていますので、皆さんも理解しやすいと思います。
 船が静止しているときは、 A,Bの真ん中に船Cを置き、Cから信号音を発する。この音は、A,Bに同時に聞こえるので この時の時間を決めておけば船A,B上の時計を同期することができます。
 そして、この同期を一定の間隔で行います。


     


 この本では、系の錯誤を行って同時性の否定を行っているので、系を正しくし、同時性が、維持される方法について まず述べます。
 この船を大きな密閉された箱に入れ、固定します。(大きなタンカーの中に置いたとしてください。)このタンカーが動いていても中の空気は、A´・B´・C´に対して静止した状態なので、常に音は、A´・B´に同時に届きます。

    


 同じようなタンカーが二つあるとします。最初に時計を同期し、常に同じ間隔で同期すれば、二つのタンカーが各々どのような速度で移動しようが、この二つのタンカーの船の時計の時刻は、いつも同じ時刻を示し、同時性は保たれます。
 しかし、Bornはこの箱を用いないで議論を行っています。海洋上ですから、当然のことながら、船の周りの空気は船と違った速度を持ち、音はAに早く到達し、Bには遅く到達するので、AとBの時刻は違ってきます。この海洋上を航行する船団が二組あり、違う速度ですれ違った場合、当然のことながら、二つの船団の時計の時刻は、一致しません。
 ここで、Bornは洋上を航行する船団(二つの系)の物理法則は同一としています。
 これは、洋上を航行する船団とその空間(洋上)を一つのガリレイ座標系とみなし、議論しているのです。そして、Bornは絶対同時性の否定を行っています。
 洋上を航行する船団の周りの空間が、本当にガリレイ座標系になっているかをタンカーの場合と比較してみましょう。
 洋上を航行するタンカーのC´から観測者が石を自然落下させると 石は観測者に対して直線的に落下します。
 一方、そのまま洋上を航行する船団のCから観測者が、石を自然落下させると 石は観測者に対して放物線を描いて落下します。
 ガリレイ座標系ならば、石は直線的に落下するのですが、洋上を航行する船団では、放物線を描くのです。
 洋上を航行する船団の周りの空間は、船団に対応したガリレイ座標系ではないのです。
 このように、Bornは系の認識を間違った状態で、同時性の否定を行っているのです。
 特殊相対性理論では、運動する物体に座標軸を固着させ、周りの空間を運動系(ガリレイ座標系)として認識しています。
 この考え方は、『特殊および一般相対性理論について』(アルバート・アインシュタイン著、金子 務 訳、白揚社)にも記載されています。
 私の考えでは、運動系は、静止系を移動する電車の室内とかジェット機の室内など 密閉された空間(川や海流などもふくまれる。)しかないと考えていますが、私の認識が違っているのでしょうか?
 物理法則を考えると 私の認識は違っていないと思うのですが!!
 運動系(ガリレオ座標系)では、他の物理法則も維持されるはずですが、洋上にある船の周りの空間では、運動系の物理法則は、維持されていません。
 アインシュタインが論じているように、Bornも洋上を航行する船に座標軸をつけ、
静止系の空間の事象をあたかも運動系にして議論しているのです。
 海洋上を航行する船の周りの空間が、なんで運動系になるのでしょうか?????
 静止系の空間を運動系にして議論しているので このような絶対同時性の否定ということが起こってしまうのです。
 ガリレイ座標系間では、絶対同時性は維持されるのです!!!!
 このような陳腐な理論展開で、特殊相対性理論に非常に重要な同時性が否定されていて、しかも、それがそのまま物理学者さんが受け入れていることが非常に不思議でなりません????
 「アインシュタインの相対性理論」(M・Born著)は、現在も特殊相対性理論の入門書として取り扱われていて、この間違いを指摘するものは、見当たらず、物理学を専攻していない私から見て、物理学者の皆さんは、何をやっているのかなと思いますが。私が間違っているのですかね??????


3. 時空図の矛盾


 アインシュタインが提唱する時空図について、再度、光時計を利用し、矛盾を指摘します。 

        

 最初に、図のような三個の光時計を電車に設置し、止まっている電車が速度C/2で移動したとします。走っているときにBMの光時計のMから出た光が、Bに届く時の地上から観察した光の状態を見てみましょう。

            

 地上から観察した光は、三角形の斜辺を移動しているように見え、特殊相対性理論では、光速度不変原理を使用して、Bに到達する時間は、
 (Ct)²=L²+(Vt)²から
  t=L/√(C²-V²)
として求められています。
 一般の物理現象では、Lに到達する時間は、Y方向の速度Cだけの速度で決まり、Vの速度に依存しない値L/Cになるのですが、光の場合だけは、光速度不変原理から上述の値になっています。
 このMBの光の移動状態の時空図を作ります。Y軸を光が移動するので時間軸と重ね合わせ、時間の単位を1/Cとします。

           

 この時空図から判断すると地上から観察して 光がBに到達する時間は、L/Cになり、t=L/√(C²-V²)ではないことが判ります。光も一般の物理法則に従い、時間の遅れなどないことが判ります。
 つぎに、三つの時計の時空図を、アインシュタインが提唱している時空図の方法で作ります。
 A・C(X軸方向)に向かった光は、鏡で反射されずにそのまま移動しているものとして図を作成します。

   

 まず、Bに到達する光を考察してみましょう。ここでもBへの光の到達時間はL/Cとなり、時刻の遅れなどないことになります。
 また、アインシュタインが提唱している同時刻線上にもないことが判ります。
 つぎにAとCの鏡に光が届く時間を見てみましょう。
 ta=L/(C+C/2)=2L/3C
 tc=L/(C-C/2)=2L/C
 taに関しては、時間の進みを観測します。tcに関しては、時間の遅れを観測します。光時計の左半分の領域は、時間の進みがあり、右半分の領域は、時間の遅れがあるのです。運動する物体は時間の遅れがあるはずなのに、光時計の左側は、時間の進みを観測するのです。
 「運動する物体の時刻は、進む場所と遅れる場所がある。」と書き換えなければならないですね。
 同時刻線を左側にずっと延長します。そうすると静止系の時間がマイナスの領域になってしまいます。止まっている電車が、速度Vで動くと、長い電車の後ろのほうでは、時間が戻るという現象が起きてしまうのです。過去に戻ってしまうのです。(タイムマシンの青写真ができました。光速に近い速度で動く非常に長い電車を作り、後方にいれば、過去に戻れるのです???????))
 電車を止めて、電車の前と後ろに乗っていた観測者が、静止系の時計の時刻を確認しました。二人の観測する時刻は違ってしまうのですね??????
 ミンコフスキー時空図を見るとこんなことが読み取れます。
 つぎに、光時計の位置を変えてみましょう。光時計の元あった場所の地上での時刻が変わってしまうのです。電車の場所の時刻は、光時計を設置する場所により簡単に変わってしまうのです。なにかおかしくありませんか???


 皆さんは、こんなこと考えないのでしょうね。時空図をよく見るとこんなことが起こってしまうのです。(最初、私はこの時空図の作り方と同時刻線やXY軸が傾くのを理解しただけでしたが、疑問に感じてよく考えてみると、やはりおかしいのです。)では、止まっている電車に光時計を電車の前方と後方にさらに2つ追加したらどうなるのでしょうか??? 止まっている電車が動いたとして、皆さんも考えてください。
 3個の時空図ができ、同じ時刻の同時刻線が、三本できるのを皆さん想像できますか?
 電車に垂直な光時計に注目すると判りますが、同時刻線は、傾かないのです。
 このように、光時計を増やし、移動方向に垂直な光の移動や運動系と静止系の時間をよく見ると、アインシュタインが提案した時空図の矛盾がよくわかります。
 この矛盾も系認識の誤認と間違った光速度の考察から生じた問題です。ここでは言及しませんが、後程、詳しく書いて見たいと思います。


4. ミューオンの時間の遅れの矛盾


 アインシュタインは、運動する物体の時計の遅れを提唱し、この考え方は、科学者の間で認められている事柄です。
 そして、物理学者は、非常に寿命が短い素粒子ミューオンが地上に届くのは「ミューオンが光速に近い速さで動いているから時間の遅れが出た為」との結論を出しています。しかも、運動する物体の時間の遅れの証拠になるとおっしゃる物理学者の方もいらっしゃいます。
 この素粒子の運動する物体の時間の遅れについて検証してみましょう。
 ミューオンは、素粒子なので原子レベルで考えます。
 原子は陽子と電子でできていますが、電子は陽子の周りを光速に近いスピードで動いて、陽子は重いのであまり動かないといわれています。
 ミューオンと同じように、この電子の時間の遅れはないのでしょうか?????
 陽子と電子では時間のずれが起こっているのでしょうか???
 ミューオンの考え方からすると電子と陽子の間では時間のずれが絶え間なく生じているはずですが?どうなのでしょうか????????
 このようなことは、物理学者の皆さんは、考えないのでしょうか?


 次に、分子レベルで見てみましょう。
 大気中に存在する空気は、風の動きや、ブラウン運動により、たえず動いています。空気の分子一個一個が、動くスピードが違うため、非常にわずかですがそれぞれ別の時刻の進み方を持った分子が無数に私たちの周りに存在することになります。
 私たちの体を見ると血液は絶えず動いているので、動いていない組織とは時間のずれが生じているはずです。 体の中にもごくごくわずかですが、時刻の進み方の違う世界があるのです。また、手の先と胴体では違う時刻の進み方になり、分子レベルで見ると私たちの体は、無限の時刻の進み方が違った異時元の世界があり、私たちの体は、異時元の世界が結びついて存在することになるのです。
 このようなことも物理学者の皆さんは考えもしないのですね。
 アインシュタインが提唱した、「運動する物体の時間の遅れ」が真実で、ミューオンの地上への到達が、運動する物体の時間遅れに起因しているならば、上述のことが起こっているのです。
 運動する物体の時刻の遅れが本当ならば、私たちの体を含め周りは、時間の進み方が違う無数の異時元の世界が結びついて出来上がっていることになります。ミューオンの時間の遅れは、本当なのでしょうか!!!!!


5.「マイケルソン,モーリーの実験結果の考察とガリレイ座標系」の矛盾
   および音波と光の波動方程式について


 1800年代、宇宙の光の媒体として「エーテル」という物質が考えられていました。
 このエーテルは、宇宙に固定していて、その中を地球が高速で移動しているので、地球での光速度を測定すれば、地球の移動速度の影響を受けると考えられていました。
 しかし、1800年代後半に、マイケルソン,モーリーが行った光速度測定結果は、地球の移動の影響が全くないものでした。
 この時点で様々な考え方が出てきましたが、どの理論も満足のいくものではなく、1905年にアインシュタインが、特殊相対性理論の基礎を出し、それを展開した理論が定着し、現在に至ります。
 特殊相対性理論のベースになる重要な事柄として 次のことが考えられます。
1.連星から出る光の速度が同じである。
2.マイケルソン,モーリーの実験結果
3.マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと
4.ガリレイ座標系の考え方
 1に関しては、何ら問題はありませんが、2・3・4に関して意見を述べます。
 まず、4に関しては、アインシュタインは、「特殊及び一般相対性理論について」(1915 金子 務訳 白揚社)のなかで ガリレイ座標について言及しています。
 その中で、運動する棒や電車(剛体)に固着した座標軸を考え、棒や電車の周りの空間をガリレイ座標系(基準体)にしていました。このシリーズの特殊相対性理論の矛盾(2)でBornも同じように洋上を航海する船に、座標軸を固着させて船の周りを運動系にしていたました。そして、同時に同じ空間が運動系であり、静止系として取り扱っていました。
 電車や船の周りの空間は、当然のこととして、運動系の物理法則は、維持されません。
静止系の空間と運動系の空間が同時に存在することは、系間の運動法則が違うので絶対にありえないことです。なぜこれが問題にならずに、そのままなのでしょうか?????
 この矛盾に関する端的な記述が、この本のP33~34に記載されています。このなかで、軌道堤を速度ⅴで移動する列車と軌道堤に沿って送った光を使い、列車に対する光速度wを求めています。
 w=c-v
 そして、アインシュタインは、次のような考察をしています。
『相対性原理によれば、真空中の光の伝搬法則はすべての他の一般法則と同様に、列車を基準体としようがレールを基準体としようが、同じことにならねばならない。………
すべての光線が堤防に関して速度cで伝搬するとすれば、まさにそのことのために、列車に関する光の伝搬法則はこれとは別のものにならなければならない――すなわち相対性原理と矛盾する。』
 この光を音に変えれば、すぐに分かりますが、レールに沿って送った音は、列車とは違うガリレイ座標系(別の運動法則を持ったところ)で起こっている事柄です。(運動法則が維持されるのは列車の中だけです。)違っていて当たり前なのです。列車に座標軸をつけても周りの空間は、その列車と同じガリレイ座標系(基準体)にはならないのです。
 アインシュタインは、列車や棒に座標軸を固着させることにより、静止系と同じ空間を同時に別々のガリレイ座標系が共有するという考え方をしているのです。
 皆さんは、このことを疑問に感じないですか?私は、この系錯誤が特殊相対性理論を生み出した大きな一因の一つと考えています。


 つぎに、マイケルソン,モーリーの実験結果について考えてみましょう。
 ガリレイ座標系を扱ったので、ガリレイ座標系の考え方をしてみましょう。宇宙を考えた時、地球はガリレイ座標系でしょうか?
 この答えは皆さんも「イエス」だと思いますが、地球がガリレイ座標系ならば当然のことながら、この地球を静止系と考えたとき、普通の運動法則が維持されます。では光はどうでしょうか???
 当然、地球を静止系と考えれば、空気中でのマックスウェル波動方程式が適用されるので、光速度はどの方向も同じになります。マイケルソン,モーリーの実験結果は、ガリレイ座標系を考えたとき、当たり前の結果なのです。
 マイケルソン,モーリーの実験結果が出た時代は、「固定したエーテル理論」が主流で、その観点からしか物事を見ていないので、「エーテル」の中を移動しているにもかかわらず、光の速度は観測者の移動速度の影響を受けないと考えられました。
 しかし、ガリレイ座標系を考えた場合や「エーテル随伴説」を考えた場合、マイケルソン,モーリーの実験結果が光の速度は観測者の移動速度の影響を受けないという結論とは、直接結びつかず、当たり前の結論になるのです。
 もしも、観測者の移動速度に影響されるとすると、ここで問題になるのが、「マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと」です。
 これに関しては、KENZOU氏が、次のブログで音波の波動方程式を求め、光の波動方程式と比較しています。 【 有機合成を専攻した私は、まだ勉強したことがない事柄なので、詳細は次のブログを参照してください。
「物理Tips ~波動方程式とガリレイ変換について~ KENZOU 2008年5月19日(http://hb3.seikyou.ne.jp/home/E-Yama/weqga.pdf)」 】


 そして、この音波の波動方程式もガリレイ変換で不変でないことを説明し、その解を求めています。
  ρ(x,t) = f(x´−(v−V)t´)+g(x´+(v +V)t´)  [式 18]
 この解は音波の伝搬速度が、正と負の方向で変化する。つまり、空気に対して速度Vで動いている観測者からは、音波はx軸の正の向きに速度v-Vで進み、逆の方向には速度v+Vで進むということを言っているにすぎないとしています。
 一方、光に関しては、マックスウェル方程式の波動方程式もガリレイ変換で不変でないが、音波と同じ挙動を示すことを証明しています。
 そして同じように解を求めています。
  φ(x´,t´) = f(x´−(c−V)t´)+g(x´+(c+V)t´)  [式 21]
 この解は、光の伝搬速度が、正と負の方向で変化する。つまり、真空に対して速度Vで動いている観測者からは、光はx軸の正の向きに速度c-Vで進み、逆の方向には速度
c+Vで進むということを言っているとしています。
(KENZOU氏は、マイケルソン,モーリーの実験結果は、『真空中での光の速さは観測者の運動状態が変わっても、光の進む方向によらず一定である。』として、この結論を棄却しています。)
 シリーズ2で洋上を航行する船の話をしましたが、マイケルソン・モーリーの実験結果は、タンカーの中で測定したことになるのです。タンカーの中を静止系とみるとすべての物理法則が成り立ち、当然のことながら、波動方程式も成り立ちます。光はどの方向の速度も一定になるのです。洋上を航行する船外で光の光速度を測定したら、音と同じように式21が成り立つ可能性があるのです。残念ながら、空気中に静止したマイケルソン・モーリーの実験だけで、いまだかって真空中や空気中を直接移動しての光速度の測定は行われていません。
 しかし、シリーズ1の光時計の矛盾、シリーズ2の同時性が維持される事、シリーズ3の時空図の矛盾等を考え合わせると、真空に対して速度Vで動いている観測者からは、光はx軸の正の向きに速度c-Vで進み、逆の方向には速度c+Vで進むと考えるとすべての事柄の矛盾は解消するのです。
 光速度不変原理にこだわらず柔軟な考え方で、物事を考察していただければ、何がおかしいのかが、見えると思います。
 特殊相対性理論のこの矛盾がこの理論の見直しにつながれば、と考えています。

特殊相対性理論の5大矛盾点

 (「特殊相対性理論の矛盾」に関しては、新たな知見を加え、非常にわかりやすく最新版のブログ『20世紀最大の物理学者の過ち』(2019/08/03)https://yoko3210go.muragon.com/entry/68.htmlにまとめてあります。
 なぜ、「波動方程式は、ガリレイ変換で、不変でないのか。」(ドップラー効果で、振動数と移動速度が変化している。)など、矛盾の本質を突いたまとめを行っています。
 上記ブログを読んでいただければ、よく理解いただけると考えておりますので、このブログよりも先に、上記ブログを読んでいただいたほうが、矛盾が明確になると考えられます。)
 
                         特殊相対性理論の5大矛盾点
1. はじめに
2. 光時計の矛盾
3. 時間の遅れの矛盾
4. 光速度不変原理の矛盾
5. 時空図の矛盾
6. 系認識の矛盾(同時性は維持される)
6-1 ガリレイ座標系と光の挙動について
6-2 アインシュタインが考えるガリレイ座標系と錯誤例
7. 「マイケルソン,モーリーの実験結果の考察とガリレイ座標系」の矛盾
        および音波と光の波動方程式について
8. 補足説明
8-1 光時計の光の考察
8-2 正しい時空図
8-3 M.Bornおよびアインシュタインの系認識の錯誤例


1. はじめに
   特殊相対性理論は、数々の矛盾が指摘されているにも関わらず、いまだに、多くの物理学者の方々に受け入れられています。
 特殊相対性理論は、「系」の認識錯誤から生まれた理論で、その系の認識錯誤を指摘できないことから、いまだに多くの物理学者の皆さんに受け入れられているのが現状です。
 ここでは、矛盾点をまとめるとともに、アインシュタインの系の考え方の誤りについて、考察していきます。


2.光時計の矛盾
 特殊相対性理論において、運動する物体の時刻の遅れは光時計を使用して、説明されています。この光時計を使用して、考えられないような出来事が起こるのを説明します。
 静止系で全て同期してあり、同じ時刻を表示するように設定されている長さLの光時計を3個使用し、速度Vで移動する電車に図-1のように設置します。

                               

                    図-1
 各光時計はMより光が出て、Mに戻り、Mに戻った時にMに設置したフラッシュが点灯するようになっています。
 時計を同時に作動させると電車にいる観測者は、それぞれの光時計が、2L/C時間後に光がMに戻り、フラッシュが同時に光るのを観測します。
   一方、地上にいる観測者は、フラッシュが2度光るのを観測します。電車では、一つの出来事が、地上では二つに分かれてしまうのです。起こりえないことが地上では、観測されるのです。なぜこのようなことが、起こるのかを考えてみましょう。
 アインシュタインの考え方に従って、静止系で観測する光時計のMから出た光が、A,B,C各点に届いた時間とMに戻る時の時間と合計時間を表-1にまとめます。
                    表-1 

 光時計AMの往路の時間と光時計CMの復路の時間は、時間の進みを観測します。AMとBMの合計時間は一致しますが、BMの合計時間とは、一致しません。
 Mに光が戻る時間は、2CL/(C²-V²)2L/√(C²-V²)になるのです。
 AMとCMの光時計の角度を変えると、角度によって、全く違う値が観測されます。
 運動系の光時計の同一の時間が、静止系ではバラバラで観測されるのです。アインシュタインの考え方に従い、静止系で運動系の光時計を観測すると正確な時間を示さないのです。 
 これは、静止系から見た運動系の光の観測方法の矛盾から生じた現象です。観測方法に矛盾がなかったら、運動系で、1度しか光らないのに、静止系で2度光るという現象など絶対に起きません。
 観測方法に関しては、6章の「系認識の矛盾」を参照してください。


3.時間の遅れの矛盾
 この光時計を静止系にも設置し、静止系と運動系から同時に光時計を観測したときの時間を表-1の値も含めて、表-2に示します。
                 表-2

   運動系から静止系の時間を観測してもバラバラの時間が観測され、合計時間を見ると静止系から見た時間とまるっきり同じ時間が観測されます。しかも、同時に遅れがあるのです。しかも、その遅れにもバラツキがあります。
   運動する物体の時刻の遅れは、どれが正しいのでしょうか????
 運動する物体の時刻の遅れはあるのでしょうか?
 これも、間違った光の観測方法を行ったために生じた現象です。光の観測方法に問題がなければ、整合性のとれた時間が観測されるはずです。
 観測方法に関しては、6章の「系認識の矛盾」を参照してください。


4. 光速度不変原理の矛盾
 光速度不変原理に関しては、現在、2つの事柄が示されています。
 ① 光速度は光源の運動状態に無関係で一定である。
 ② 光速度は観測者の運動状態によらず、常に一定である。
 2項目の事柄に関しては、アインシュタインの文献等で、異なった考察がされています。その例をここに記載します。
『特殊および一般相対性理論について』(アルバート・アインシュタイン著、金子 務 訳、白揚社)のP32~34に記載されているので、それを見てみましょう。
ここでは、軌道堤に沿って送られた光と速度Vで移動する列車を使って、考察を行っています。

                           

              図-2
 ここで、アインシュタインは列車に対する光速度Wを求めています。
  W=C-V
 列車に相対的な光線の伝搬速度はCより小さい、ということになります。また、後述の同時性の否定している部分等でも 同じような観測が行われています。
「光速度は観測者の運動状態によらず、常に一定である。」という事柄は、このように、否定されているにもかかわらず、原理になっています。
(ここでアインシュタインは、次のような結論を出しています。
 【この結果は、相対性原理と矛盾する。すなわち相対性原理によれば、真空中の光の伝搬法則は、すべての他の一般自然法則と同様に、列車を基準体としようが、同じことにならねばならない。ところが我々の考察によれば、それが不可能のように思える。】
 そして、【すべての光線が堤防に関して速度Cで伝搬するとすれば、まさにそのことのために、列車に関する光の伝搬法則はこれとは別のものにならなければならない。すなわち相対性原理と矛盾する。】)
 列車を基準体としたとき、運動法則が適用されるのは、皆さんもお判りのように、列車内だけです。列車の外は、静止系の事象です。静止系を移動する光は、音と同じように、列車の速度の影響を受けているだけです。列車を静止系として、列車内に光を通したらどうなるのでしょうか?? この事柄は、相対性原理と矛盾はしません。
 ここでも系の錯誤が行われています。詳しい内容は、6章を参照してください。


5.時空図の矛盾
   時空図を使って、棒の時刻が二つや三つになる矛盾を紹介します。
   X軸上に各点の間隔がLのA―CとA´―E´とA″―G″の3本の棒があります。棒の端A、A´、A″を原点にそろえ、各棒の中点B,C´,G″よりX軸の双方向に光を照射します。 照射と同時に速度Vで3本の棒を移動させます。

                                    

                     図-3
このとき、静止系にいる観測者が観察する光の状態と移動状態の時空図を作ります。


                       

                             図-4
   この図は、1本ごとの時空図を重ね合わせたと考えても良いし、同時に作ったと考えても良いです。 棒と一緒に運動する観測者は、すべての光がL離れたとなりの点に同時に到達すると認識するので、本来ならば、1本の同時刻線になるはずですが、3本になっています
  同時刻線とA点の世界線の交点A・A´・A″に着目すると、光が距離Lを移動した時の時刻と場所を表しています。同じ原点から、速度Vで同じ時間移動しているにもかかわらず、バラバラになっているのです。しかも、この図ではD″から光を出した時のA″点は、この図では、Xの値が負になり、逆戻りしているのが判ります。また時間も過去に戻ってしまうのです!!!! 
    棒が逆方向にあることは、観察していて絶対に起こらない現象です。しかし、光を出す位置により、図では、このような現象が起きてしまうのです。長い棒の末端の時刻と場所は、光を出す位置によって変化するので特定もできないのです。 
 これが特殊相対性理論で、扱われている時空図なのです。X´軸やY´軸を傾けたために、各点で時刻のずれが生じているだけで、場所や位置を特定できる図ではないのです。
   一本の棒を使い、一つの点から出た光だけを考えると妥当性があるかのように考えてしまいますが、このように3本の棒を使い、光も3か所から出すと、矛盾しているのが良く判ります。
   なぜ、このような現象が生じるのでしょうか?
   これも、間違った光の観測方法を行い、間違った作図を行ったために生じた現象です。光の観測方法に問題がなければ、整合性のとれた時間と時空図が観測されるはずです。
   観測方法に関しては、次章の「系認識の矛盾」を参照してください。


6.系認識の矛盾
6-1 ガリレイ座標系と光の挙動について
   さいしょに、地球上でガリレイの運動法則が適用される領域を 地上を静止系として考えてみます。
   ①   等速度で直進移動する密封された空間(電車などの乗り物の室内など)
   ②   等速度で直進移動する流体(管中を流れる水や空気、川・海流・風など)
   ③   等速度で直進移動する棒や固体(ガラス棒や鉄棒など)
   この他にもなにかあるかもしれませんが、今、私に考えられる事柄はこれだけです。この系を静止系と考えると ガリレイの運動法則が適用され、その媒質におけるマックスウェルの波動方程式も適用されと考えられます。③は特殊な例ですが、音や電磁波等の伝搬速度は、①や②と同じ挙動を示すと考えられます。
  このように地上から運動系を見ると限られた範囲でしか運動系は存在しません。


  つぎに、宇宙空間の運動系を見てみましょう。
  ①    等速度で直進移動するロケット等の室内
  ②    ミクロ的に見たときの星(地球・月・太陽・恒星など)
   星に関しては、どの範囲までガリレイの運動法則が適用できるかわかりませんが、地球では、大気圏はガリレイの運動法則が適用できると考えられ、マックスウェルの波動方程式も適用されると考えられます。


  もう一度、4章の図-2の軌道堤と列車に対する光の挙動を見てみます。

                           

                 図-2
 ここで、アインシュタインは列車に対する光速度Wを求めています。
  W=C-V
 この光は、軌道堤を進む光ですが、ガリレイの運動法則が適用される電車内では、光の速度は、どうなるのでしょう?
 電車内を静止系として考えれば、電車内では光の速度はCとなり、電車の外から内部に入った光もマックスウェルの波動方程式により同じ速度Cとなり、方向性もなくなります。 列車に乗っている観測者は光の速度として、CとWの2つの光速度を観測することになります。
 静止系から電車の光を観察すると、同じようにW´=C+Vを観測し、静止系でもCとW´の2つの光速度を観測していることになります。
 この電車に対する静止系の光の相対速度Wは、いまだかって、測定されたことのない速度です。
   この系の考え方で問題となるのが、マックスウェルの波動方程式が、ガリレイ変換で不変でなかったことですが、不変であることがすでに判っているので、(これについては、7章を参照してください。)静止系の光の運動系に対する相対速度がWになり、運動系の光の静止系に対する相対速度がW´になることに関しては、妥当性がある事柄として受け止めることができます。
   4章でアインシュタインは、光は相対性原理と矛盾すると結論付けていますが、光も相対性原理に準じることが判ります。


   次に、地球について考えてみます。

                                    

                図-5
 地球内を静止系とすると、地球内では、空気に対するマックスウェルの波動方程式が適用されるので、地球での光速度はCa(空気中の光速度)となり、また、地球の外から来た光の光速度も地球系内に入った時点でCaとなり、方向性もなくなることになります。
 地球に関しても列車と同じように地球系外の光の地球に対する相対速度は、W=C-Vになると考えられ、地球の観測者は、WとCaの2つの光速度を観測することになります。しかし、このWについても現在まで、測定が行われてはいないので実際の速度は判っていません。
   ここで、マイケルソン,モーレーの実験結果を見てみましょう。
   宇宙に固定したエーテル理論を議論するときは、観測者が直接、宇宙空間を移動すると考えてもよいかもしれませんが、固定したエーテル理論が、否定された時点で、別の考え方を導入する必要があります。
   アインシュタインは、ガリレイ座標系に対する光速度を言及しているので、ガリレイ座標系でのマイケルソン,モーレーの実験の位置づけを考えてみます。
   マイケルソン,モーレーの実験は地球の大気中で行われています。
   地球はガリレイ座標系ですから、実験結果は地球系内の光速度を測定していたことになり、地球系内を静止系と考えると、当たり前の実験結果になります。
   多くの物理学者の皆さんは、マイケルソン,モーレーの実験結果を『光速度は観測者の運動状態によらず、常に一定である。』に結び付けているようですが、ガリレイ座標系を考えると、実験結果は移動する系内に静止している観測者が測定したもので、宇宙空間を移動する「系内に静止している」(系が移動している)のと宇宙空間を「直接移動する」ことが違うことの認識ができていないようです。
   宇宙空間を同じ速度Vで移動していても地球系内と系外では、光速度の観測結果が違ってくるのです。この地球系外の地球に対する光速度Wは、一度も測定されたことがないので、推論の域を脱していません。


6-2 アインシュタインが考えるガリレイ座標系と錯誤例
  アインシュタインの座標系に関する考え方が、『特殊および一般相対性理論について』(アルバート・アインシュタイン著、金子 務 訳、白揚社)に記載されているので、 ポイント部分を抜粋し、説明します。
 「第2章 座標系」p17~20で 空間のある事象の位置の特定方法がかいてあり、剛体(軌道堤や列車や棒)に堅く結びつけた座標系を使用して、特定を行っています。棒や列車の周りの空間は、棒や列車と一緒に移動する座標系になっているのです。
   つぎに、「第5章 相対性原理(狭義の)」において、ガリレイ座標系の考え方が記載されています。
   ここでは、軌道堤を速度Vで移動する列車と軌道堤に沿って直進的に速度vで移動するカラスを用いて、【質量mがある一つの座標系K(軌道堤)に対して一様な直線運動をするならば、第二の座標系K´(列車に固着した座標系)に対しても、それがKに対して一様な並進運動をしている限り、同じく直線的で、一様である。】 
 そして、【Kがガリレイ座標系ならば、Kに対して一様な並進運動の状態にある他のすべての座標系K´もガリレイ座標系である。ガリレイ-ニュートン力学の諸法則は、Kに対してと同じように、K´に関してもあてはまる。】

                       

                                             図-6
   このような説明で、列車に堅く結びついた座標系K´(列車の周りの空間)はガリレイ座標系になっているのです。
   カラスは電車の外を飛んでいるのです。静止系の事象を列車に固着した座標系で見るとたしかに列車の速度に対応して運動法則は維持されています。
   しかし、電車の外で起こした事象、例えば、石を電車の外の軌道堤に静かに落としたとします。K´系(電車に固着した座標系)から見ると石は空気抵抗のために、放物線を描いて落下します。同じことを電車の中で行い、K´系から見ると直線的に落下します。
   アインシュタインの考え方では、同じ系の同じ事象のはずなのに、違う運動状態が観察されるのです。K´系としている電車の中と外では系が違うのです。
   K´系の電車の外側は、静止系ですから、静止系で起こった事象の運動法則は観測者の速度に応じて観測されるだけなのです。そして、そこで起こした事象(石の例)はK´系の運動法則にはならないのです。
 ガリレイ座標系は電車の中の空間だけで、有限の大きさしかないのです。
 特殊相対性理論の中では、静止系を移動(運動)する物に座標軸をつけ、運動系にしてしまうのです。静止系を移動する棒や電車に座標系をつけることにより、運動系の運動法則が適用できない静止系の空間が運動系になっているのです。


 運動する棒に座標系が固着した例を見てみましょう。
 アインシュタイン論文選「奇跡の年」の5論文(青木薫訳 1905年 ちくま学芸文庫)に記載されている「運動物体の電気力学」の論文は、同時性の否定やローレンツ変換の式が導き出されている特殊相対性理論の根幹部分です。ここで、棒に座標系をつけて議論を行っているのです。
 まず、同時性の否定で棒に固着した座標系が使われているので、これを記述します。ここでは、同期した時計が使われているので、まず、時計の同期について説明します。(本文を抜粋)
 【空間内のA点とB点に時計が置かれていて、光線が「A時間」の時刻tAにA点を出発してB点に向かい、「B時間」の時刻tBにB点で反射されてふたたびA点に向かい、
「A時間」の時刻t´AにAに到着したとしよう。
 この時、もしも
   tB-tA=t´A-tB
が成り立つならば、これら二つの時計は同期していると定義する。】
 次に同時性の否定について、見てみましょう。本のp259~260に記載されている内容を抜粋します。
 【さてここで、棒の両端(A点とB点)に、静止系で同期させた時計を取り付けよう。
 それら二つの時計が示す時刻は、その時たまたま位置した点での「静止系の時刻」に常に一致する。そうなるように、これらの時計を「静止系で同期させた」のである。
 さらに、どちらの時計にも、それといっしょに運動する観測者が一人ついていると想像しよう。その二人の観測者が第一節で定めた方法で、二つの時計を同期させるものとする。光線が、時刻tAにA点を出発し、時刻tBにB点で反射され、時刻t´AにA点に戻る。このとき、光速度一定原理を考慮すると、
   tB-tA=(rAB)/(C-v)(本の中ではCがVと記載されています。)
およびt´A-tB=(rAB)/(C+v)
となる。ここでrABは、運動している棒を静止系で測った時の長さを表す。こうして、棒と一緒に運動している観測者は、二つの時計は同期していないという結果を得るのに対し、静止系にいる観測者は、二つの時計はあっていると主張することになる。
 このことから同時性というものに絶対的な意味は与えられないことがわかる。二つの出来事が、ある座標系では、同時刻に起こったように見えても、その座標系に対して運動している別の座標系では、もはや同時刻の出来事とは考えられないのである。】


 このように、移動する棒には座標軸がついて座標系になっているのです。
 この章の冒頭で、系の確認をしましたが、棒そのものは、特殊な運動系ですが、その周りは静止系の事象です。座標系を固着させてもその周りは運動系にはならないのです。
 棒と一緒に運動している観測者は、静止系の光を観測しているのです。棒の周囲を運動系として議論しているのです。
 棒ではなく、本来の運動系を動かして時計の同期について考察してみます。

       

                   図-7
 図-7に示すように、箱の一辺(棒)ABがX軸上を速度Vで移動しているとします。
 このとき、箱の内部のAより光をBに向けて光を照射し、Bで反射されて、Aに戻るとします。
 棒ABの両端の箱の内部にいる観測者から見ると箱の内部が静止系になるので、マックスウェルの波動方程式が適用され、光速度はCを観測するので、
  tB-tA=(rAB)/C 
  t´A-tB=(rAB)/C
  tB-tA=t´A-tB
を観測し、時計は同期しているのを確認します。
 静止系で同時の事象は、運動系でも同時に起こるのです。
 このアインシュタインの同時性を否定する時間の式からも、棒と共に静止系を移動する観測者は、静止系の光の伝搬速度を(C+v)や(C-v)として観測しているのです。
 このことは、運動系に対する静止系の光の伝搬速度が(C+v)や(C-v)になることを意味しています。
 静止系を運動系とし、運動系を静止系にすると同じことが言えるので、静止系に対する運動系の光の伝搬速度も(C+v)や(C-v)として捉えられることになります。
 また、「光速度は観測者の運動状態によらず、つねに同じ値Cをとる。」という項目は、この事柄からも、否定されなければなりません。


 つぎに、アインシュタインの論文「運動する物体の電気力学」の特殊相対性理論のベースとなる部分での間違いを指摘します。(p262~263)
 運動系kで起こった出来事の場所と時刻を指定する値ε,η,ζ,τに対して、静止系Kを指定する値x,y,z,tとを関係づける連立方程式を求めています。
 本文を抜粋します。
 【x´=x-vtとおくと、kで静止している点の座標は、明らかに、時間に依存しない一定の値の組、x´,y,z,tをもつ。まずτを、x´,y,z,tの関数として求めよう。そのためには、τはじっさいには、k系に静止している時計 ― 第1節で述べた規則によって同期させた時計 ― から得られる情報の総体であるということを、方程式の形で表さなければならない。
 時刻τ₀にk系の原点からX軸に沿って放出された光線がx´に向かい、時刻τ₁にx´で反射されて原点に向かい、時刻τ₂に原点に戻ったとしよう。
 このとき、1/2(τ₀+τ₂)=τ₁  ‥‥‥‥‥(1)
がなりたたなければならない。関数τの引数を入れ、静止系で光速度一定原理を用いると、
 1/2[τ(0,0,0,t)+τ(0,0,0,{t+x´/(C-v)x´/(C+v)})]
 =τ[(x´,0,0,t+x´/(C-v)] ‥‥‥‥(2)
となる。】


 この事柄は、図-7のBをx´に置き換えた状態と同じです。
 ここで、(1)式の1/2(τ₀+τ₂)=τ₁は、τ₁=τ₂でなければ、成り立ちません。しかし、τ₁=(tB-tA)でτ₂=(t´A-tB)ですから、アインシュタインは棒を使った同時性の否定の時に、
 tB-tA=(rAB)/(C-v)、
 t´A-tB=(rAB)/(C+v)
としているので、アインシュタインの同時性の否定の時の考え方では、この(1)式は成り立たないはずなのに、成り立つとしています。
 一方では同時でないと言っておきながら、同じ事柄を行っているのにもう一方では、
同時でなければならないと言っているのです。
(2)式を見てみましょう。(2)式のx´=(rAB)ですから、同時性の否定の時に使われた数値がそのまま入っています。この式は静止系を移動する棒を静止系の光で考察したときの値が入っているのです。この棒の動きを運動系として扱っているのです。
 今までの考察で、静止系に対する運動系の光の伝搬速度は、(C+V)や(C-V)と推測したので、その値を使って、(tB-tA)と(t´A-tB)を計算してみましょう。
 tB-tA=t₁  t´A-tB=t₂として計算します。
 rAB=(C+v)t₁-vt₁  t₁=rAB/C
 rAB=(C-v)t₂+vt₂  t₂=rAB/C
 このように、運動系の光を正しく観測すれば、往復の時間は同じ値になるのです。
 アインシュタインは、このすべての考察が狂った状態で(2)式を展開し、下式を導き出しています。
  Ζ=φ(V)β(x-vt)
  β=1/√{1-(v/C)²}
 そうです ローレンツ変換です。
 ローレンツ変換は、静止系を移動する棒の運動と静止系の光を使用して、導き出された式なのです。棒の理論なのです。
 このように、特殊相対性理論は、系の認識を誤った状態で導き出されているのです。
 静止系で同時な事象は、運動系でも同時なのです。同時性は維持されるのです。
 座標系の固有の時間はないのです。
 ローレンツ変換など存在しないのです。


7.「マイケルソン,モーリーの実験結果の考察とガリレイ座標系」の矛盾
     および音波と光の波動方程式について


   1800年代、宇宙の光の媒体として「エーテル」という物質が考えられていました。
   このエーテルは、宇宙に固定していて、その中を地球が高速で移動しているので、地球での光速度を測定すれば、地球の移動速度の影響を受けると考えられていました。
    しかし、1800年代後半に、マイケルソン,モーリーが行った光速度測定結果は、地球の移動の影響が全くないものでした。
   この時点で様々な考え方が出てきましたが、どの理論も満足のいくものではなく、1905年にアインシュタインが、特殊相対性理論の基礎を出し、それを展開した理論が定着し、現在に至ります。
 特殊相対性理論のベースになる重要な事柄として 次のことが考えられます。
  1.連星から出る光の速度が同じである。
  2.マイケルソン,モーリーの実験結果
  3.マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと
  4.ガリレイ座標系の考え方
  1に関しては、何ら問題はありませんが、2・3・4に関して意見を述べます。
  まず、4に関しては、アインシュタインは、「特殊及び一般相対性理論について」(1915 金子 務訳 白揚社)のなかで ガリレイ座標について言及しています。
 その中で、運動する棒や電車(剛体)に固着した座標軸を考え、棒や電車の周りの空間をガリレイ座標系(基準体)にしていました。
   Bornも同じように洋上を航海する船に、座標軸を固着させて船の周りを運動系にしていたました。そして、同時に同じ空間が運動系であり、静止系として取り扱っていました。
   電車や船の周りの空間は、当然のこととして、運動系の物理法則は、維持されません。
   静止系の空間と運動系の空間が同時に存在することは、系間の運動法則が違うので絶対にありえないことです。なぜこれが問題にならずに、そのままなのでしょうか?????
   この矛盾に関する端的な記述が、この本のP33~34に記載されています。このなかで、軌道堤を速度ⅴで移動する列車と軌道堤に沿って送った光を使い、列車に対する光速度wを求めています。
     w=c-v
   そして、アインシュタインは、次のような考察をしています。
『相対性原理によれば、真空中の光の伝搬法則はすべての他の一般法則と同様に、列車を基準体としようがレールを基準体としようが、同じことにならねばならない。………
すべての光線が堤防に関して速度cで伝搬するとすれば、まさにそのことのために、列車に関する光の伝搬法則はこれとは別のものにならなければならない――すなわち相対性原理と矛盾する。』
   この光を音に変えれば、すぐに分かりますが、レールに沿って送った音は、列車とは違うガリレイ座標系(別の運動法則を持ったところ)で起こっている事柄です。(運動法則が維持されるのは列車の中だけです。)違っていて当たり前なのです。列車に座標軸をつけても周りの空間は、その列車と同じガリレイ座標系(基準体)にはならないのです。
    アインシュタインは、列車や棒に座標軸を固着させることにより、静止系と同じ空間を同時に別々のガリレイ座標系が共有するという考え方をしているのです。
    皆さんは、このことを疑問に感じないですか?
   私は、この系錯誤が特殊相対性理論を生み出した大きな一因の一つと考えています。


   つぎに、マイケルソン,モーリーの実験結果について考えてみましょう。
ガリレイ座標系を扱ったので、ガリレイ座標系の考え方をしてみましょう。宇宙を考えた時、地球はガリレイ座標系でしょうか?
   この答えは皆さんも「イエス」だと思いますが、地球がガリレイ座標系ならば当然のことながら、この地球を静止系と考えたとき、普通の運動法則が維持されます。では光はどうでしょうか???
 当然、地球を静止系と考えれば、空気中でのマックスウェル波動方程式が適用されるので、光速度はどの方向も同じになります。マイケルソン,モーリーの実験結果は、ガリレイ座標系を考えたとき、当たり前の結果なのです。
 マイケルソン,モーリーの実験結果が出た時代は、「固定したエーテル理論」が主流で、その観点からしか物事を見ていないので、「エーテル」の中を移動しているにもかかわらず、光の速度は観測者の移動速度の影響を受けないと考えられました。
 しかし、ガリレイ座標系を考えた場合や「エーテル随伴説」を考えた場合、マイケルソン,モーリーの実験結果が光の速度は観測者の移動速度の影響を受けないという結論とは、直接結びつかず、当たり前の結論になるのです。
   もしも、観測者の移動速度に影響されるとすると、ここで問題になるのが、「マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと」です。
 これに関しては、KENZOU氏が、次のブログで音波の波動方程式を求め、光の波動方程式と比較しています。 【 有機合成を専攻した私は、まだ勉強したことがない事柄なので、詳細は次のブログを参照してください。
「物理Tips ~波動方程式とガリレイ変換について~ KENZOU 2008年5月19日(http://hb3.seikyou.ne.jp/home/E-Yama/weqga.pdf)」 】


  そして、この音波の波動方程式もガリレイ変換で不変でないことを説明し、その解を求めています。
    ρ(x,t) = f(x´−(v−V)t´)+g(x´+(v +V)t´)  [式 18]
 この解は音波の伝搬速度が、正と負の方向で変化する。つまり、空気に対して速度Vで動いている観測者からは、音波はx軸の正の向きに速度v-Vで進み、逆の方向には速度v+Vで進むということを言っているにすぎないとしています。
一方、光に関しては、マックスウェル方程式の波動方程式もガリレイ変換で不変でないが、音波と同じ挙動を示すことを証明しています。
そして同じように解を求めています。
     φ(x´,t´) = f(x´−(c−V)t´)+g(x´+(c+V)t´)  [式 21]
   この解は、光の伝搬速度が、正と負の方向で変化する。つまり、真空に対して速度Vで動いている観測者からは、光はx軸の正の向きに速度c-Vで進み、逆の方向には速度
c+Vで進むということを言っているとしています。
(KENZOU氏は、マイケルソン,モーリーの実験結果は、『真空中での光の速さは観測者の運動状態が変わっても、光の進む方向によらず一定である。』として、この結論を棄却しています。)
 マイケルソン・モーリーの実験結果は、動く電車中で測定したことになるのです。電車の中を静止系とみるとすべての物理法則が成り立ち、当然のことながら、波動方程式も成り立ちます。光はどの方向の速度も一定になるのです。動く電車の外で光の光速度を測定したら、音と同じように式21が成り立つ可能性があるのです。残念ながら、空気中に静止したマイケルソン・モーリーの実験だけで、いまだかって真空中や空気中を直接移動しての光速度の測定は行われていません。
 しかし、光時計の矛盾、同時性が維持される事、時空図の矛盾等を考え合わせると、真空に対して速度Vで動いている観測者からは、光はx軸の正の向きに速度c-Vで進み、逆の方向には速度c+Vで進むと考えるとすべての事柄の矛盾は解消するのです。
光速度不変原理にこだわらず柔軟な考え方で、物事を考察していただければ、何がおかしいのかが、見えると思います。
 特殊相対性理論の小さな矛盾がこの理論の見直しにつながれば、と考えています。


8.補足説明
8-1 光時計の光の考察
 静止系から見た運動系の光時計の矛盾は、静止系に対する運動系の光の相対速度を考慮していないことと、図-14に示すように速度により合成された光の軌跡√(C²+V²)の速度をCとしているから起きている矛盾なのです。

             

                 図-8
 光がa点に到達する時間は電車の速度に依存せずに、 a/Cに決まっているのです。
 他の物理現象で、このような考察が行われている事柄は存在しません。音の伝搬速度は、空気中で一定ですので同じ考察を行ったら、違った時間の遅れを観測します。
 なぜ光だけ別格なのでしょうか?私には、この考え方を受け入れている物理学者の皆さんの、考え方が理解できません。音は目に見えないけど、光は目に見えるから?


8-2 正しい時空図
 運動系の光の時空図を作ります。
 速度vで移動する電車のB点より等距離離れたA,C点に光を同時に照射したときの、時空図を図-10に示します。

         

                 図-9  

       

               図-10
 運動系の光の静止系に対する相対速度は、v-cとv+cになりますので、運動系の光の世界線は静止系の光の世界線よりもvt右に移動した線になります。
 この時空図で分かるように、運動系の時間の遅れもなく、同時に起こった事象は、静止系でも同時に起こるのです。この図が本来の時空図なのです。


8-3 M.Bornおよびアインシュタインの系認識の錯誤例
「アインシュタインの相対性理論」(M・Born著、林 一訳、東京図書)のⅥ章
 アインシュタインの特殊相対性理論p203~205において、船とはしけを使って、絶対同時性の否定を行っていますが、ここで、その矛盾を説明します。
 この例は、音を使っていますので、皆さんも理解しやすいと思います。正確に伝えるために、文書を引用しながら、説明します。
 【船が静止しているときは、次の方法で船A,B上の時計を同期することができる。
 A,Bの真ん中に船Cを置き、Cから信号音を発する。この音は、A,Bに同時に聞こえるはずである。

      

                図-11


 さて、この船列Sが動いているとしても、明らかに同じ方法を応用することができる。
船が空気に対して、相対的に動いていることに乗務員が気づかなければ、かれらは、A,Bの時計は同じ速さで進んでいると信じるであろう。】
(音で時刻合わせを常にしている。このときに、音が伝わる媒体は、静止系の空気です。また、空気は移動する船と一緒に移動していません。移動する船には、静止系の運動法則が適用されるのです。)
 【はしけA´,B´,C´からなる第2の船列S´がある。その隣りあう船の間隔は第1の船列Sのそれに等しいものとして、船上の時計を同じしかたでくらべてみる。
 さて、船列S´が船列Sを追いこす場合を考えよう。Sは静止しているとしても、また運動しているとしてもよい。ある瞬間にAはA´とならび、BはB´とならぶであろう。乗組員たちは、時計が一致しているかどうかを見ることができる。もちろん、かれらは一致していないことに気づくであろう。AとA´が偶然一致していたとしても、BとB´は一致しないであろう。
 これで上の方法の誤りが明らかになる。船が動いているときには、中央のCから発せられた信号は、船が静止している場合にくらべて、先行する船Aにいくのには余分に時間がかかり、後続の船Bへいくのにはより短い時間ですむ。なぜなら、Aは音波から遠ざかろうとしており、Bは近づきつつあるからである。時間の差は2つの船の速さによって変わる。(中略)
 上の方法は音を用いて時計を調節するものであったが、もちろん音の代わりに光を用いることも可能である。A,Bの時計は中点Cから送られてきた光信号が、つくたびに、ある一定の位置を指すように調整される。このやり方で、どんな系においても、それに属する時計を同期化することができる。だが、このような2つの系が出会う場合には、たとえばAとA´の時計は一致し、BとBダッシュの時計は針の位置が異なるといったことが起こる。どちらの系にもおいても物理法則は同一なので、それぞれ自分が静止していると主張することができ、したがって、同等の権利で自分の時間が正しいと主張できるのである。(中略)絶対同時性というものはない。】


 このような理論展開でBornは絶対同時性の否定を行っています。この文章の中には、運動系の運動法則が適用できる空間の事柄は、どこにも出てきません。静止系の運動法則が適用される船を使い、静止系の媒体を伝搬する音を使って、運動系としているのです。


 では、この船の音源と時計を運動系にしてみましょう。

     

                図-12
 時計と音源を丈夫な箱で連結し、密封します。この箱は船と共に移動し、中の空気も一緒に移動するので、(電車の中と同じ状態です。)船が等速度で運動する限りどんな速度で移動しようと、箱の中は運動系の運動法則が適用され、Cから出た音は、同時にAとBに届きます。密封された箱の中が運動系なのです。
 船自体と箱の中にいない観測者は、静止系を移動する物です。どこにも運動系の運動法則があてはまる部分がないのです。船から観測者が石を落とすと、石は空気抵抗で、後方に放物線を描いて落下します。しかし、箱の中で観測者が、石を落下させると、観測者に対して垂直に直線的に落下します。箱の中だけが運動系なのです。動く船の周りは運動系ではないのです。
 船列Sと船列S´がすれ違い、時刻合わせをするとA,A´,B,B´すべての時刻が一致します。
 音を光に変えても同じことが言えます。
 Bornが言うところの絶対同時性はあることになります。
 このように、Bornは静止系を移動する物と静止系の媒体を使い、運動系にして議論をして、同時性の否定をおこなっているのです。
 ここでも光速度不変原理に関する重要な事柄が記載されているので、その事柄について触れてみます。
 この中で音の代わりに光も使用できると記載されているので、本文の一部を光に変えてみます。「Aは光から遠ざかろうとしており、Bは近づきつつあるからである。時間の差は2つの船の速さによって変わる。」
 この文章から、静止系を移動する観測者Aは光の速度をC-Vとして観測し、BはC+Vとして観測していることになります。
 このことは、本のⅥ章の冒頭に記載されている「実験によれば、光速は観測者の運動状態によらず、つねに同じ値Cをとる。」を自らの思考実験の中で変えているのです。
 光速度不変原理の「光速は観測者の運動状態によらず、つねに同じ値Cをとる。」はここでも否定されているのです。


 つぎに、特殊および一般相対性理論について』(アルバート・アインシュタイン著、金子 務 訳、白揚社)の第9章 同時性の相対性のp40~42において、列車と軌道堤と雷を使用して、同時性の否定をしています。ここでの矛盾を指摘します。
 本文を抜粋しながら説明します。

          

                図-13
 【二つの事象(たとえば二つの落雷AとB)があって、軌道堤を基準にして同時であるならば、列車を基準にしてもまた同時であるだろうか?
 その答えがどうしても否定的になることを、直ちに示そう。
 落雷AとBが軌道堤に関して同時であるというときには、雷光のあった場所AとBから出た光線が軌道堤の線分A―Bの中点Mで出会う、という意味である。
 列車上の点AとBもまた、事象AとBに一致する。走行中の列車の長さA―Bの中点をM´としよう。この点M´は、確かに落雷の瞬間には、点Mと一致するが、図にあるように列車の速度Vで右方向へ動いている。列車の中で点M´のところに座っている観測者がこの速度をもたないとすれば、Mにいつまでもとどまっていることになり、とすれば、落雷AとBからの光線が彼の所に同時に到達することになろう。すなわち、この二つの光線は彼の所で出会うのである。しかし実際には(軌道堤から判断して)、かれはBからくる光に向かって急行していくのであるが、Aからの光よりも先行してその光に後から追いつかれるのである。したがって観測者は、Aからくる光よりも先にBからの光を認めるであろう。
 列車を基準体として用いる観測者は、落雷Bが落雷Aより先に起こっている、という結論になるにちがいない。こうして、われわれは以下の重要な結論に達する。
 軌道堤を基準として同時である事象は、列車を基準とすると同時でない、そしてまた、逆も真である(同時性の相対性)。すべての基準体(座標系)はそれぞれ固有な時間を持っている。だから時間の表示が意味を持つのは、時間の表示が基準としている基準体を挙げている場合だけである。】
 このような理論展開で同時性の否定をしています。皆さんお気づきでしょうか?軌道堤で起きた二つの事象と列車の中で起きている事象が違うのです。列車の中で起きている事象は、位置の特定だけです。軌道堤で起きている事象は落雷AとBが起きているのです。
 また、MとM´が観測する光を見るとMは軌道堤を基準体(静止系)とする光を観測し、同じ光をM´は運動系の光として見ているのです。すなわち、列車の観測者M´も静止系の光を観測しているのです。
 これで同時性が否定されているのです。
 列車に座標軸をつけ、電車の外側も運動系の出来事として、扱っているので、このよ
うな考察になったと思われます。
 列車の中も軌道堤と同じ事象にしましょう。落雷AとBが起きた時に、同時に列車の
中のAとBに落雷が起きたとします。列車の中の観測者M´は、列車の中を光が移動し、同時に光が届くのを確認します。
 静止系で同時の事象は、運動系でも同時なのです。運動系の座標系は、電車の中だけ
に限られた範囲でしか存在しないのです。
 同時という事柄に関しては、もう一つ、落雷AとBが同時にMに届くのを電車でも確認できるかどうかという事柄があげられます。
 これに関しては、M´の位置に相当する電車の外側にM”を乗せ電車を移動させたとします。M″は光の速度をC+VやC-Vで観測するので、計算から導き出してもわかりますが、M″は静止系の観測者ですから、静止系で同時の事象は、観測者がどこにいようとどのような状態でも同時なのです。M″の位置に相当するM´も同時に届くのを観測するのです。
 静止系で同時の事象は、運動系でも同時なのです。座標系はそれぞれ固有な時間を持っていないことになります。
 このアインシュタインの文章の中で、「したがって観測者は、Aからくる光よりも先
にBからの光を認めるであろう。」との記述がありますが、電車の外側に乗っている観測者M″も同じことを観測しているのです。ここでも光速度不変原理の「光速は観測者の運動状態によらず、つねに同じ値Cをとる。」は否定されているのです。