二つの光速度(観点を変えた考察)

 二つの光速度に関しては、ご覧いただき、理解してくださった方もいると思います。
 アインシュタインの考え方は、真空中の光速度はCだから、静止系も運動系も同じ光速度と考え、光速度不変原理の下に、一つの光を使用し、静止系から見た思考実験を行い、特殊相対性理論を構築しています。
 しかし、その思考実験に矛盾がみられるので、アインシュタインの思考実験の矛盾をあらたな観点も取り入れて、指摘するとともに、何が間違っているかを指摘したいと思います。
 多くの読者の方に読んでいただくために、今回の内容の重要な点を先に少し記述します。
 アインシュタインの同時性の思考実験は、絶対静止系の光に別々の相対速度を持った地球と相似した惑星にある棒を地球にもってきて、速度Vで移動し、地球の光速度で観測した状態と同じなのです。
 地球にもってきた速度Vで移動する棒に対する地球の光の相対速度で同時性が否定されているのです。


        

 詳しい内容は、本文をご覧ください。


1.相対性
アインシュタインは著書「特殊及び一般相対性理論について」(1915 金子 務訳 白揚社)のなかで 「ガリレイ座標系と相対速度」について言及しています。
このなかで、軌道堤を速度ⅴで移動する列車と軌道堤に沿って送った光を使い、列車に相対する光速度Wを求めています。(相対速度) (P33~34)
  W=C-V

        

 そして、次のように、相対性の否定を行っています。 相対性原理によれば、真空中の光の伝搬法則はすべての他の一般法則と同様に、列車を基準体としようがレールを基準体としようが、同じことにならねばならない。………光線が堤防に関して速度Cで伝搬するとすれば、まさにそのことのために、列車に関する光の伝搬法則はこれとは別のものにならなければならない――すなわち相対性原理と矛盾する。
 軌道堤の光しか使用していませんが、電車の中と電車の外では、光の状態が違うのです。
 電車の外の光は電車の速度に依存しますが、電車の中の光は、電車の速度に依存せず、方向性もないのです。
 このように違う状態の光をただ一つの光を使用して、系の相対性を議論してよいのでしょうか??
  例えが電車だからわかりにくいと思いますので、電車を地球と同じ状態の(質量・大気を持っている)惑星にしてみてみましょう。


         

 絶対静止系の光に対する相対速度 Vt-Vで移動する惑星があり、地球の絶対静止系の光に対する相対速度がVtだとします。
 空気が存在すると光速度はCではないですが、Cと考えて議論します。
 惑星を静止系と考えると、惑星の中の光に対する地球の相対速度は、
 W=C-V
となります。けっしてCとはなりません。
 アインシュタインの考え方では、惑星を静止系と考えると、惑星の中の光速度Cに対する地球の相対速度がCと観察されないことから、地球と惑星間の相対性がないと言っていることになるのです。
 地球と惑星では、皆さんも同じ考えかたをすると思いますが、相対性があるのです。系内の運動法則やマイケルソン・モーリーの実験結果も同じで、光速度もCになるのです。
 ガリレイ座標系内の光と系外の光を同列で比較することはできないのです。
 このように考えれば、移動速度が違う空間の光の速度を軌道堤に沿った光速度だけを用いて議論すること自体がおかしいのです。
 それぞれのガリレイ座標空間で観測すれば、光速度はマイケルソン・モーリーの実験結果に従ってCを観測するのです。相対性は維持されるのです。
 しかも、アインシュタインの思考実験では、電車の外側を運動するガリレイ座標空間としているのです。
 アインシュタインは、運動する剛体(棒・電車etc.)に固着する座標軸を考え、運動する棒の周りの空間をガリレイ座標空間としているのです。
 軌道堤の空間と電車の中の状態は絶対静止系から考えると違うのです。座標軸を固着しても運動系にはならないのです。
 このように、アインシュタインは、ガリレイ座標系の誤った認識と絶対静止系から見て違う状態の光に対して一つの光速度を使用して、相対性の否定を行っているのです。
 ガリレイ座標間では、相対性は維持されるのです。
 軌道堤の光の観測しかしていないので、電車の光に対する軌道堤の観測者の相対速度を見てみましょう。

           

 電車を静止系と考えれば、地上の観測者が、電車に対して速度Vで移動しています。
電車に対して進行方向の光の相対速度Wは、
 W=C+V
を観測し、反対方向の光の相対速度は
 W=C-V
を観測します。
 アインシュタインが、この相対速度をしっかりと認識していれば、特殊相対性理論は、誕生していなかったのです。


2.同時性
 アインシュタインの論文「運動物体の電気力学」(1905年)(アインシュタイン論文選 「奇跡の年」の5論文 青木 薫訳 ちくま学芸文庫P259~260)(「アインシュタイン相対性理論」内山 滝雄訳・解説p20~24)で同時性の否定を行っています。
 ここでは移動する棒に張り付いた観測者が観測する光を使用し、時計の同期を利用して議論が行われています。
 長さLの棒ABの両端に同期した時計を設置し、棒の両端に棒とともに移動する観測者L・Mを配置し、棒を速度Vで移動させます。


           


 LとMの観測者が時計の同期を行いました。時刻 TA₀でAより光を照射し、時刻 TB₁でBに到達し、鏡で反射され、時刻 TA₂に戻ったとします。
 このとき、光速度一定の原理を考慮すると
   TB₁-TA₀=L/(C-V)    TA₂-TB₁=L/(C+V)
となり、棒とともに移動する観測者L・Mは、二つの時計はあってないと主張するのに対して、静止系の観測者は、二つの時計はあっていると主張します。(L・Mは静止系の光の相対速度を測定しているのです。)
 そして、アインシュタインは、次のような結論をだしています。
このことから、同時性というものに絶対的な意味は与えられないことがわかる。二つの出来事が、ある座標系では同時刻に起こったように見えても、その座標系に対して運動している別の座標系では、もはや同時刻の出来事とは考えられないのである。


 このアインシュタインの同時性の思考実験は、惑星に静止した長さLの棒だけを地球にもってきて、速度Vで移動する棒に対する地球の光の相対速度で同時性を否定していることになるのです。

          

 惑星と地球にある静止した長さLの棒を往復する光の往路の時間と復路の時間は、同じで惑星でも地球でも時計の同期はできます。
 惑星の光速度を正しく観測すれば、(相対速度を加味した考え方。)地球でも往路の時間と復路の時間はL/Cを観測するのです。
 このように考えると、なんてくだらない議論をしていたのかが判ります。
移動する棒に別の座標系(運動系のガリレイ座標空間・マイケルソン・モーリーの実験結果が適用できる空間)は存在するのでしょうか? 皆さんも考えてください。
  アインシュタインは、運動する棒に固着する座標軸を考え、それをガリレイ座標系とし、光速度不変原理の下に、惑星の光の相対速度を考えなかったから、このような矛盾が起こったのです。
 運動する棒は、運動系のガリレイ座標系ではないのです。静止系を移動する物なのです。
 ガリレイ座標系は、運動法則が維持され、マイケルソン・モーリーの実験結果が観測される空間だけなのです。
 電車の外側は、この事柄を満たしていないので、静止系を移動する物なのです。観測している場所は静止系なのです。正しいガリレイ座標の認識をすれば、同時性は、維持されるのです。
 この状態は、前々ブログの1章の電車の外にいる観測者Lが電車の外の棒を往復する光を観測した状態と同じです。
   
 このように、アインシュタインは、ガリレイ座標空間の認識を間違い、地球で観測される惑星の中の光速度(Cではない)を光速度不変原理でCにして、同時性の否定をしているのです。
 ガリレイ座標空間の間では、同時性は維持されるのです。


3.ローレンツ因子
 つぎに、この論文「運動する物体の電気力学」の特殊相対性理論のベースとなる最も重要な部分での間違いを指摘します。(p261~265)(「アインシュタイン相対性理論」内山 滝雄訳・解説p24~27)
 ここでは、運動系kで起こった出来事の場所と時刻を指定する値(ε,η,ζ,τ)に対して静止系Kを指定する値(x,y,z,t)とを関係づける連立方程式を求めています。
 そして、
  X´=x-vt
とおき、τを、(X´,y,z,t)の関数として求めています。


 時刻τ₀に速度Vで移動するk系の原点からX軸に沿って放出された光線がX´に向かい、時刻τ₁にX´で反射されて原点に向かい、時刻τ₂に原点に戻ったとします。
 このとき、
  1/2(τ₀+τ₂)=τ₁                  ‥‥‥‥‥(1)
がなりたたなければならず、関数τの引数を入れ、静止系で光速度一定原理を用いると、
 1/2[τ(0,0,0,t)+τ(0,0,0,{t+X´/(C-V)+X´/(C+V)})]
 =τ[X´,0,0,t+X´/(C-V)]             …‥‥‥‥(2)
としています。


 この思考実験での大きな間違いは、静止系の座標と運動系の座標を重ね合わせた状態で考察していることです。
 運動系の光を地上で観察する状態を下に示します。

        

 この状態は以前のブルグや前回のブログでも書きましたが、地上の観測者は、電車の中の光を垂直な光として観測し、残像の軌跡から、B´に光が届いた状態を観察します。
 そしてこの光は直接観測することができません。前ブログに書いたような方法で観測するしかないのです。
 静止系と電車の中は光の状態(系外は方向性がある。系内は方向性がない。)が違うので、同時に同じ場所には存在することができません。
 アインシュタインは、静止系の座標軸上を運動系の座標軸が移動するという手法をとっていますが、そのことにより、運動系の光がX´に到達したときに、静止系の光も同じ時間に、X´に到達したと錯覚を起こしてしまうのです。
 アインシュタインの文章だけを読むと納得してしまうかもしれませんが、今までの事柄を考えていただければ、間違った思考実験を行っているのが、ご理解いただけると思います。
 静止系の光と運時計の光は、状態が違うので、同時に別々に考察する必要があるのです。
 相対速度の項で運動系の光の相対速度を計算しましたが、アインシュタインは、相対速度の考え方をしないで、運動系の光の速度を光速度不変原理の下に、Cとしてしまったのです。
 静止系の光と運動系の光では系の運動速度が違うので、絶対静止系に対する速度も違い、状態が違うと考えられるのに、光速度不変原理の下にCとすることはできないのです。
 この思考実験は、同時性の速度Vで移動する長さLの棒AB に時計を置き、同期を調査したのと同じ状態で、Aを運動系(k系)の原点にし、B点をX´に置き換えた状態と同じです。時刻τ₀がTA₀に相当し、τ₁がTB₁に相当し、τ₂がTA₂に相当するのです。  
 この思考実験では、運動系のガリレイ座標空間の事象が存在しないのです。
 この状態は静止系を移動する棒に静止系の光を往復させたときの状態を見ているにすぎないのです。
 運動系の座標軸としているものは、ただ、単に棒に座標軸をつけただけのもので、ガリレイ座標軸ではないのです。
 ここから導き出されたローレンツ因子は、静止系を移動する棒を静止系の光で往復した時に得られた事象を示しているにすぎません。
 今までの考察で、静止系に対する運動系の光の相対速度は、(C+V)や(C-V)と計算したので、静止系で観測される運動系の光の値を使って、(2)式を書き直してみましょう。
 TB₁-TA₀=L/(C+V-V)=L/C
 TA₂-TB₁=L/(C-V+V)=L/C
ですから(2)式は
 1/2[τ(0,0,0,t)+τ(0,0,0,{t+X´/C+X´/C})]
 =τ[X´,0,0,t+X´/C]                ‥‥‥‥(2´)
となります。
そして、式を展開して得られる結論は特殊相対性理論とは、全然違ったものになります。
 アインシュタインは、この運動系に相対した静止系の光速度(相対速度)を使った(2)式を展開し、下式を導き出しています。
  Ζ=φ(V)β(x-vt)
  β=1/√{1-(v/C)²}
  ローレンツ因子です。
特殊相対性理論は、棒(相対速度)の虚構の理論なのです。


4.光速度不変原理とマックスウェルの波動方程式
  マイケルソン・モーリーの実験結果


 アインシュタインの光速度の考え方は、連星の光速度や、マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変なことより、宇宙全体の真空中の光速度は、一定のCになると考え、地球でのマイケルソン・モーリーの実験結果は、地球が絶対静止系に対して、速度Vtで移動しているために収縮が起こったからと考えているようです。そのため、運動系の光速度をCにして特殊相対性理論を考えたと考えられます。(もしも違っているのならば、どなたかご指摘をお願いします。)
 この考え方があっているかの検証をしてみようと思います。
 ここで、もう一度、惑星と地球と絶対静止系の光の関係を見てみましょう。
 ここで、空気があると複雑になるので、すべて真空と考え、地球や惑星の周りのある一定の空間にはマイケルソン・モーリーの実験結果が適用できると考えてください。
 絶対静止系の光速度をCzとし、惑星内の光速度をCpとします。

        

 その系に静止した観測者は、マイケルソン・モーリーの実験結果が適用できる系内にいるので光の方向性がないので、光速度をCとして観測します。
 この観点からはCz=Cpになります。
 次に、惑星に対する絶対静止系の光の相対速度Wを見てみましょう。
惑星は絶対静止系に対して速度Vt-Vで移動しているので、絶対静止系の光に相対した相対速度は、
 W=Cz-(Vt-V)
を観測します。相対速度があるということは、惑星の系外の光速度をCz-(Vt-V)として観測することになります。
 惑星の観測者は系内の光速度と系外の光速度の二つを観測することになるのです。
 では、地球から絶対静止系の光と惑星の光を観測したらどうなるのでしょう。
 絶対静止系の光に対しては、
W=Cz-Vt
を観測します。
 惑星の光に関しては、(惑星とともにエーテルが移動する??)と考えると
 W=C-V
を観測します。
 以上のように、地球から他の惑星の光の速度を計測すると、Cにはならないのです。
 しかし、アインシュタインは、他の運動系の光の速度をCとして考え、理論展開を行っているのです。
 運動系の光速度は、絶対静止系で観測したとき、Cにはならないのです。
 運動系の棒を往復する光の速度を他の系で観測したときは、この相対速度から棒の移動速度を引くので棒を移動する光速度は他の場所で測定してもつねにCとなるのです。
 ローレンツの収縮理論に関するブログを昨日初めて詳しく読みました。運動する物体の収縮に関しては、収縮など起きないことがわかりました。
 その理由は、絶対静止系から見る運動系の測定器の光路を移動する光の速度をC+VやC-Vにしているからです。
 正しい光速度の認識をしない状態で理論展開が行われているのです。
 途中で読むのが嫌になりました。( `―´)ノ😢


 なぜ、物理学者の皆さんは、下記のような事柄を考えるのでしょう?
 ローレンツ収縮や時間の遅れで議論されているのですが、他の物理現象では、図のような軌跡を描く物体の動きがLに到達する時間はL/CでVの速度に依存しないはずなのに、光の場合だけ、軌跡の長さをCで割っていて、光だけは特殊な扱いになっていました。

            

 なぜ、光だけ特殊なのですか?
 私には不思議に感じてなりません。(=゚ω゚)ノ
 多くの物理学者の皆さんが取り入れているからには、私の知らない理由があると考えるのですが、私の知らない理由があるのなら教えてください。
 見えるからですか?


 以上の考察をすると「マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変」が問題になりそうです。
 この件に関しては、前々ブログを参照してください。 


 余談ですが、静止系からしか事象の観察をしていないので、運動系から見た事象と物理現象をみてみましょう。
 速度Vで移動する電車の中にはマイケルソン・モーリーの実験結果が適用できるので、電車の中の観測者は長さLの棒を光が移動する時間L/Cを観測します。
 止まっている電車を速度Vで動かしたと同時に棒の端から光を照射し、もう一方の端に届いたときに電車を止めます。電車は光の方向に関係なく、VL/C移動した同じ位置で止まります。
 一方、アインシュタインの考え方では、地上の観測者は、光の方向により、VL/(C-V)とVL/(C+V)の位置に電車が止まるのを観測します。
 もう一つ考えられることがあります。電車はVL/√(C²-V²)移動した位置で止まります。
 あなたならどうしますか?
 あっ!もう一つありました。VL/C移動した位置で止まります。
 どれが正解なのでしょ?


 某物理学専攻で宇宙物理が専門の院生の方、(おそらく私がご迷惑をおかけした方だと思いますが。)コメント頂きありがとうございました。今までと違う角度からの考察ができ、非常に感謝しております。ありがとうございました。


 また、このブログに関する矛盾や疑問点がありましたらコメントを頂ければ幸いです。
 皆さんのコメントをお待ちしています。

二つの光速度が存在した!! 特殊相対性理論の矛盾

 某物理学専攻で宇宙物理が専門の院生の方のコメントに対する見解が長くなったので、ブログにそのまま載せました。
 コメント内容は前ブログを参照ください。


 ご指摘ありがとうございました。
 物理学者さんの考え方が判り、まだまだ素人の域を抜けていないので、本を取り寄せて勉強したいと考えております。
 光時計の件ですが、確かに、ローレンツ収縮があるとしたら、同じ時間になります。
 電車の中と外に関する問題ですが、見解が違うので、反論させてください。
 絶対静止系を考えた場合、地球が速度Vで移動していても、速度Vに対応した収縮が起こるので、マイケルソン・モーリーの実験結果のように光の速度の方向性がなくなると仮定すると、速度ⅴで移動する電車にも速度V+vに対応した収縮が起こるので、マイケルソン・モーリーの実験結果は、地球と同じように電車の中も、どの方向の光速度も一緒になるはずです。
 物理院生の方が、考えていらっしゃるのは、全部同じ真空だから電車の中も外も同じ光速度Cと考えていらっしゃるようですが、電車の収縮やマイケルソン・モーリーの実験結果を考えると電車の中と外では、観測者の位置で違う光速度を観測する可能性があるのです。(電車内は方向性がない。電車の外は方向性がある。)
 移動する棒に座標軸をつけても、電車の中の状態は再現できていないのです。
 また、アインシュタインは同時性の否定で、LとMの観測者が時計の同期を行なったとき、時刻 TA₀でAより光を照射し、時刻 TB₁でBに到達し、鏡で反射され、時刻 TA₂に戻ったとします。
 このとき、光速度一定の原理を考慮すると(論文の中の表現を使用)
   TB₁-TA₀=L/(C-V)    TA₂-TB₁=L/(C+V)
としていますが、観測者LとMは、光の速度をC+VやC-Vとして観測していることになります。観測者LとMを静止系にして、光速度をCとして観測していれば、L/Cを観測するはずです。
 この事柄は、マイケルソン・モーリーの実験結果と矛盾するのですが、どうなのでしょうか?
 観測者が移動速度の影響を受けているとしか考えられないのですが。


 物理院生の方コメントありがとうございました。早速、本を取り寄せて、読んでみたいと考えています。


 電車の中と外では、光の状態が違うとことに関して、補足させてください。


    

 室内が真空で、速度Vで移動する電車の中に、ダイヤモンドでできた長さLの棒ABを置き、ダイヤモンドの中をAよりBに向けて、光を照射し、Bに光が届くのを静止系より観測します。
 このとき静止系の観測者は、下記のような光の軌跡を観測します。
 観測する光は図のような状態の光で、直接ABを移動する光を測定はできません。


    

 Aから照射した光がBに到達する時間Tⅾを測定するために、ダイヤモンド中の光速度をCDとし、観測者は、光が照射したときのAの位置を線路上にマークし、同じようにBに光が届いたときのBの位置を線路上にマークし、STの距離Dを計測します。
 そして、計算により、Tdを求めました。このとき、相対性理論に精通した方々も光の軌跡を光速度CとかCⅾで割るというようなことはしないですよね?計算してみましょう。
 Tⅾ=D/(Cⅾ+V)  D=L+VTⅾ  Tⅾ=L/Cⅾ
となります。
 次にダイヤモンドの代わりに、水にします。同じような計算をすると、
 Tw=L/Cw
となります。
 次にヘリウムガスを考えてみましょう。同じ計算をすると、
 Th=L/Ch
となります。
 次に真空を考えてみましょう。同じ計算をすると、
 Tⅴ=L/Cⅴ
となります。
 しかし、特殊相対性理論では、真空中の光速度は一定として、
 Tⅴ=L/(Cⅴ-V)
としています。
 特殊相対性理論の考え方では、Vの値を大きくすると、
 Tⅴ > Th・Tw・Tⅾ
という現象が生じてしまうのです。
 物質の光速度で話を進めていましたが、現代の科学では不可能ですが、超高速度の弾丸(10万km/S)を使用したときに、電車の速度が20万km/S以上の時には、
 Bに到達する時間が
 Tⅴ > 弾丸
 という非常に矛盾した現象が生じるのです。
 考え方があっているならば、こんなことが起こらないはずです。


 次に静止系で起こる現象を考えてみます。
 静止系の座標軸上で長さLの中が真空の棒を速度Vで静止系の時間でX軸方向にL/C時間移動したとします。棒は、距離VL/C移動します。
 次に、光をX軸方向に照射し、静止系の時間でL/C時間に光が到達する距離はLになります。
 次に、棒の中のA点より、B点に光を照射します。この棒の移動だけを考えると、静止系の時間で、L/C時間後には、同じように、B´に棒が移動しています。


       


 次に棒の光と棒の移動状態を観察してみましょう。棒の中にいる観測者は、L/C時間後に、光がBに到達し、距離VL/C棒が移動したのを観測します。
 棒の移動だけを考えると、静止系の移動距離VL/Cと棒の中から観測する移動距離VL/Cは、同じと考えるのですが、違う見方ができるならばお教えください。
 アインシュタインの考察は、光速度不変原理の下に、光の移動状態だけを考察していますが、静止系の物理現象のみを考察すると、何かおかしいと考えられるのですが、私の考え方が違っているのですかね?


 アインシュタインの考え方は、真空中の光速度は、運動系の中も、静止系も同じと考えているようです。
 同時性の否定で観測者LとMが観測した光の速度は、C+VやC-Vとしたのは、この考えがあったからだと思いますが、マイケルソン・モーリーの実験結果から「真空中での光の速さは観測者の運動状態が変わっても、光の進む方向によらず一定である。」という現在、物理学で考えられている事柄とは一致しないのです。
「真空中での光の速さは観測者の運動状態が変わっても、光の進む方向によらず一定である。」が前提条件ならば、LもMもC+VやC-Vでなく、Cを観測するのです。[私は、運動系の座標空間(密閉された空間)を持たないので考え方が違いますが。]


 相対性の否定の時に、軌道堤の光を使用して電車に対する相対速度を出していますが、電車基準で考えた時にどうなるのでしょう。観測者が速度Vで移動しているのです。


         

 電車を静止系にした時、軌道堤の観測者と電車の光の相対速度は、アインシュタインの考え方に従うと
 W=C-V
を観測します。
 この事柄は、軌道堤の観測者が電車の光速度をC-Vとして観測していることになります。
 しかし、同時性やローレンツ因子の算出の時には、光速度不変原理の下に、運動系の光速度を、Cにしているのです。
 相対性の否定では、相対速度で議論しながら、同時性の否定やローレンツ因子の算出の時には、光速度不変原理の下に、この相対速度の考え方が消失しているのです。
 私は、非常に疑問に感じるのですが、私の考え方がおかしいのでしょうか?


 院生の方、大変ありがとうございました。再度、本を読み、考えたいと思います。
 また、何か私の考え方におかしいと感じることがございましたら、どしどし、ご指摘いただければ、ありがたく存じあげます。
 またよろしくお願い申し上げます。

二つの光速度が存在した!! 特殊相対性理論の矛盾


    アインシュタインは著書の中で光の相対速度を用いて、相対性の否定を行っています。(後述) 相対速度があるということは、ガリレイ座標系内の光速度と系外の光速度があり、二つの光速度が観測されることを意味します。
   アインシュタインは、思考実験を行い、光速度不変原理の下に数式を立て、それを展開し、特殊相対性理論を作っています。
   しかし、アインシュタインの考え方では、考えられない矛盾が起きることをブログやユーチューブ等で紹介し、特殊相対性理論は、「相対速度の虚構の理論」と指摘してきました。
    前ブログを読んでいただいた方は、ある程度分かっていただけたかと思いますが、まだ明確になっていない方もいると思われます。
    今回、この二つの光速度がはっきりと分かる思考実験を考えましたので、ここに紹介するとともに、再度、「特殊相対性理論のベース部分での矛盾」 「マイケルソン・モーリーの実験結果と波動方程式に関する見解」 「光時計の矛盾」を示し、特殊相対性理論が虚構の理論であることの説明をします。


1. 二つの光速度
   最初に二つの光速度があることを思考実験で説明します。
   速度Vで移動する電車の中に、長さLの光時計ABを進行方向に平行に設置します。
   電車の外側に長さLの棒を取付け(電車とともに移動する)棒のA´点よりB´にむけて光を照射し、反射してA´に戻るように設置します。

          

   電車の中には、観測者Oがいて、外には観測者Lが電車の壁に張り付いています。
光時計を作動させ、同時に外の光も照射します。
   電車内の観測者OはAから出た光がBに L/C時間後に到達し、反射された光がさらに
L/C時間後にAに戻るのを観測します。(Oから見ると電車が静止系です。)
   電車の外の観測者Lは、A´から出た光が L/(C-V)時間後にB´に届き、反射された光が   A´にさらに、L/(C+V)時間後に到達するのを観測します。観測者Lが観測する光速度は、地上の光の電車に対する相対速度です。(電車の外の光は地上の光です。) 
 観測者Oが窓から外の状況を確認すると、観測者Lと同じ状況を観測し、光の速度が二つ観測されることになります。系内の光速度と系外の光の相対速度です。
  では、地上からこの状況を観測したら、どうなるのでしょう?
 皆さんも考えてください。
 地上でも二つの光速度があるのです。一つは静止系(ガリレイ座標系内)の光速度で、直接測定することができます。もう一つの光速度は、系外(電車の中)の光速度(相対速度)で、直接測定することはできません。


    ここで、特殊相対性理論に精通した方々の中には、実際の実験結果(マイケルソン、モーリーの実験結果、マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと)と一致しないと考える方がおられると思います。
 マイケルソン、モーリーの実験結果は、O視点の実験を行っているにすぎません。マックスウェルの波動方程式が不変でないことに関しては、ガリレイ座標間で法則が維持されることが推定できました。これについては後述します。


    この系内の光と視点および系外の光と視点を念頭に入れて、特殊相対性理論の文献等を読むと、間違いだらけの理論であることがわかると思います。
    また、アインシュタインは、L視点の観測を運動系の観測にしているので、アインシュタインの座標系の考え方の間違いを次章で指摘します。


2.ガリレイ座標と相対速度
アインシュタインは「特殊及び一般相対性理論について」(1915 金子 務訳 白揚社)のなかで 「ガリレイ座標と相対速度」について言及しています。
 その中で、運動する棒や電車(剛体)に固着した座標軸を考え、棒や電車を基準体とし、周りの空間をガリレイ座標系にしていました
    棒や電車の周りの空間は、当然のこととして、運動系の物理法則は、維持されません。静止系の空間と運動系の空間が同時に存在することは、系間の運動法則が違うので絶対にありえないことです。
    この矛盾に関する記述が、この本のP33~34に記載されています。このなかで、軌道堤を速度ⅴで移動する列車と軌道堤に沿って送った光を使い、列車に相対する光速度Wを求めています。(相対速度) 
  W=C-V

          


 そして、アインシュタインは、次のような結論を出しています。
相対性原理によれば、真空中の光の伝搬法則はすべての他の一般法則と同様に、列車を基準体としようがレールを基準体としようが、同じことにならねばならない。………
光線が堤防に関して速度Cで伝搬するとすれば、まさにそのことのために、列車に関する光の伝搬法則はこれとは別のものにならなければならない――すなわち相対性原理と矛盾する。
 アインシュタインは静止系内の光とその光に対する運動系の相対速度を同じ土俵の上にあげて議論を行っているのです。
 前述の思考実験と同じように、電車の中にも光を照射し、O視点の観測を行ったらどうなるのでしょうか?電車の中にも光を照射して考察してみましょう。


         


 速度Vで移動する電車の外側に観測者Lが張り付き、内部に観測者Oが居たとします。(Lは電車とともに移動)
 電車内部はOにとって、静止系なので、Oは電車内部の光の伝搬速度 C を観測します。一方電車の外に張り付いているLが観測する光は、軌道堤の光なので電車に相対する速度  W=C-V を観測します。
 列車を基準体(アインシュタインは、ガリレイ座標系と考えている。)にするということは、O視点の観測を行うことであり、L視点の観測を行うことではありません。
   アインシュタインが行った思考実験は、地上の光と電車との相対速度(L視点)で、電車内部の状態を観測したものではありません。
   このように、ガリレイ座標系内の光と視点に注目して考察すると、相対性原理は維持されるのです。
    Oが同時に内部の光と外部の光を観測したら、挙動の違った二つの光を観測するのです。
   アインシュタインの文章をよく読むとこのような矛盾があちこちで見られます。系の認識を持ち、この現象はどの系の現象かを認識し、両方の系に光を照射し、視点を変えて読むと、間違いがよくわかります。
    電車から軌道堤の光を考察しましたが、軌道堤から電車の中の光を観測したらどうなるのでしょう?(電車を静止系にし、地上を運動系にすれば、同じ観測ができます。)
    地上に対する相対速度は、電車と同じ方向の光は
     W=C+V 
で、電車と逆方向の光は、
        W=C-V
を観測するのではないでしょうか?
    なぜ、アインシュタインは、これを考えなかったのでしょうか???
    これを考えていれば、光速度不変原理など生じていなかったのですが。(;´Д`)


 私が読んだ「特殊相対性理論」に関する書物の「思考実験」はすべてこのL視点の考察をしているのです。
    皆さんも「特殊相対性理論」の書物を読むときは、これを念頭に置いて読むと、間違いだらけで、なんてくだらない理論だったのかが判ると思います。
    現代の物理学や社会に多大な影響を与えている「特殊相対性理論が虚構の理論」など皆さん信じられないですよね!
    特殊相対性理論は、基礎となる思考実験を行い、その結論を展開して組み立てられています。
    しかし、基礎となる思考実験の考え方があっていたならば、今までのブログで示した数々の矛盾は起こらないのです。特殊相対性理論のベースとなる最も重要な事柄の矛盾を見てみましょう。


3.同時性
    アインシュタインの論文「運動物体の電気力学」(1905年)(アインシュタイン論文選 「奇跡の年」の5論文 青木 薫訳 ちくま学芸文庫)のP259~260で同時性の否定を行っています。ここでは光を使った時計の同期を利用して議論が進められています。
   まず、時計の同期を説明します。
   A点とB点に時計があったとします。A点の時計の時刻がTA₀のときにB点に向かって光を照射し、B点の時計の時刻がTB₁の時に光が届き、鏡で反射されてA点の時計の時刻がTA₂の時に戻ってきたとします。このとき
       TB₁-TA₀=TA₂-TB₁ 
が成り立つとき二つの時計は同期していると定義しています。
    つぎに、アインシュタインの同時性の否定を見てみましょう。
   長さLの棒ABの両端に同期した時計を設置し、棒の両端に棒とともに移動する観測者L・Mを配置し、棒を速度Vで移動させます。


                               

    LとMの観測者が時計の同期を行いました。時刻 TA₀でAより光を照射し、時刻 TB₁でBに到達し、鏡で反射され、時刻 TA₂に戻ったとします。
    このとき、光速度一定の原理を考慮すると(論文の中の表現を使用)
   TB₁-TA₀=L/(C-V)    TA₂-TB₁=L/(C+V)
となり、棒とともに移動する観測者L・Mは、二つの時計はあってないと主張するのに対して、静止系の観測者は、二つの時計はあっていると主張します。(L・Mは静止系の光の相対速度を測定しているのです。)
    そして、アインシュタインは、次のような結論をしています。
このことから、同時性というものに絶対的な意味は与えられないことがわかる。二つの出来事が、ある座標系では同時刻に起こったように見えても、その座標系に対して運動している別の座標系では、もはや同時刻の出来事とは考えられないのである。
    ここに別の座標系(運動系のガリレイ座標空間・O視点)は存在するのでしょうか? 皆さんも考えてください。
    この状態は、1章の電車の外にいる観測者Lが地上の光を観測した状態と同じです。
 このアインシュタインの思考実験では、運動する座標系空間は存在しないのです。
 アインシュタインは、運動する剛体(棒・電車etc.)に固着する座標系を考え、運動する棒の周りの空間をガリレイ座標空間としているのです。
    ではこの状態に、本来の運動するガリレイ座標空間を付け加えて時計の同期を見てみましょう。

               

    一片の長さがLの密閉した箱の底辺の一辺の両端をA・Bとして時計をつける。箱の内部の同じ位置にも時計を置き、4個の時計を同期し、合わせます
    箱の外側のA・Bに観測者LとMが張り付き、箱の内部のA・Bに相当した位置に観測者O・Pが張り付き、箱を速度Vで移動し、時計の同期を行う。(箱の内部にも光を照射します。) 箱内部の観測者O・Pは、次の時間を観測し、時計は同期していると主張します。(O・Pから見ると箱の内部が静止系)
        TB₁-TA₀=L/C   TA₂-TB₁=L/C
    一方、箱の外の観測者L・Mは、地上の光を観測し、時計は同期していないと主張します。
       TB₁-TA₀=L/(C-V)    TA₂-TB₁=L/(C+V)
    観測者L・Mは静止系の光を観測していることになり、箱のA・B点に対する相対速度を測定したことになます。運動するガリレイ座標の内部の挙動は見ていないことになります。(1.の二つの光の静止系の光が移動する棒を往復したときの状態を観察しているのです。)
    当然のことながら、箱の内と外の時計はあっています。
    アインシュタインは、箱をとった状態で、あたかもL・Mが静止系とは別の座標系になると考え、運動系に対する静止系の光の相対速度を使用して、同時性の否定を行っているのです。確かに、L・Mは運動していますが、電車の中のように、運動法則が維持された座標空間を持たないのです。
    L・Mに座標軸を固着させても、運動系にはならないのです。静止系を移動する物体なのです。確かに、静止系の物理現象の観測結果は、運動系と同じですが、L視点の観測なのです。運動系の外側の観測なのです。運動系内の観測結果ではありません。
    正しい系認識をすれば、同時性は維持されていることがわかります。
    運動するガリレイ座標系で内部と外部を同時に観察すると、静止系の光と運動系の光では、挙動が違うのを確認することができます。
    アインシュタインは、一つの光線を使い、光速度不変原理のもとに光速度Cを当てはめ、議論を行っているのです。この光速度不変原理を当てはめることにより、光線は、静止系の光になってしまうのです。
     アインシュタインの思考実験では、一つの光しか使用していないので、文献等を読むときは、常に静止系と運動系の光を念頭に置いて読み進み、視点を変えると矛盾していることがよくわかります。


    つぎに、この論文「運動する物体の電気力学」の特殊相対性理論のベースとなる最も重要な部分での間違いを指摘します。(p261~265)
    ここでは、運動系kで起こった出来事の場所と時刻を指定する値(ε,η,ζ,τ)に対して静止系Kを指定する値(x,y,z,t)とを関係づける連立方程式を求めています。
   そして、
       X´=x-vt
とおき、τを、(X´,y,z,t)の関数として求めています。


    時刻τ₀に速度Vで移動するk系の原点からX軸に沿って放出された光線がX´に向かい、時刻τ₁にX´で反射されて原点に向かい、時刻τ₂に原点に戻ったとします。
   このとき、
    1/2(τ₀+τ₂)=τ₁                  ‥‥‥‥‥(1)
がなりたたなければならず、関数τの引数を入れ、静止系で光速度一定原理を用いると、
 1/2[τ(0,0,0,t)+τ(0,0,0,{t+X´/(C-V)+X´/(C+V)})]
 =τ[X´,0,0,t+X´/(C-V)]             …‥‥‥‥(2)
としています。


 この事柄は、アインシュタインが行った、速度Vで移動する長さLの棒AB に時計を置き、同期を調査したのと同じ状態で、Aを運動系(k系)の原点にし、B点をX´に置き換えた状態と同じです。時刻τ₀がTA₀に相当し、τ₁がTB₁に相当し、τ₂がTA₂に相当するのです。前述の箱のA点に座標軸を立てたと考えてください。

               

(2)式を見てみましょう。(2)式のx´は長さLに相当しますので、
         X´/(C-V)=L/(C-V)=TB₁-TA₀   
         X´/(C+V)=L/(C+V)=TA₂-TB₁ 
となり、同時性の否定の時に使われた、静止系の光が移動する棒を往復したときの数値
(相対速度)がそのまま使われています。
 静止系の光と運動系の挙動が違うことを考察しましたが、光に光速度不変原理を適用することで、光は静止系の光になってしまったのです。
    座標軸上を光が移動しているので、いかにも運動系の光と考えてしまいますが、運動系の光と静止系の光を別々にして、O視点とL視点で考察すると矛盾がよくわかります。
 今までの考察で、静止系に対する運動系の光の相対速度は、(C+V)や(C-V)と推測したので、静止系で観測される運動系の光の値を使って、(2)式を書き直してみましょう。
     TB₁-TA₀=L/(C+V-V)=L/C
     TA₂-TB₁=L/(C-V+V)=L/C
ですから(2)式は
 1/2[τ(0,0,0,t)+τ(0,0,0,{t+X´/C+X´/C})]
 =τ[X´,0,0,t+X´/C]                ‥‥‥‥(2´)
となります。
   そして、式を展開して得られる結論は特殊相対性理論とは、全然違ったものになります。
 アインシュタインは、この運動系に相対した静止系の光速度(相対速度)を使った(2)式を展開し、下式を導き出しています。
  Ζ=φ(V)β(x-vt)
  β=1/√{1-(v/C)²}
 そうです。 ローレンツ因子です。
 このように、特殊相対性理論は、系の認識を誤って導き出された相対速度の虚構の理論
  なのです。
 運動する棒に座標軸を固着させても、周りの空間は、ガリレイ座標系にはならないの
 です。
 ガリレイ座標間で相対性は維持されるのです。
 静止系で同時な事象は、運動系でも同時なのです。同時性は維持されるのです。
 ガリレイ座標系内の光速度はCとなり、系外の光の速度は、その系の動きに対応した速
    度が観測されるのです。 
    特殊相対性理論で導き出されたローレンツ因子は、相対速度から導き出されたもので
 す。
    この系認識錯誤と光速度不変原理により、運動系の光の速度をCとすることが、特殊相対性理論の矛盾の根源なのです!( `―´)ノ


4.マイケルソン、モーリーの実験結果とマックスウェルの波動方程式について
 「運動系の光と静止系の光は二つの光速度」に関して問題になるのは、「マイケルソン,モーリーの実験結果」と「光の波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと」と考えられます。これについて考察してみましょう。
    まず、マイケルソン,モーリーの実験結果について考えてみましょう。
マイケルソン,モーリーの実験結果は、この時代、主流だった固定したエーテル理論を覆す結果で、エーテル中での光の相対速度を求めようとして行われている実験です。
     ここで出てきたのが、収縮説・エーテル随伴説などですが、ガリレイ座標系を扱ったので、ガリレイ座標系の考え方をしてみましょう。宇宙を考えた時、地球の大気圏はガリレイ座標系でしょうか?
    この答えは皆さんも「イエス」だと思いますが、地球がガリレイ座標系ならば当然のことながら、この地球を静止系と考えたとき、静止系の物理法則が維持されます。では光はどうでしょうか??? 光だけ相対速度が観測されるのですか????
 当然、地球を静止系と考えれば、空気中でのマックスウェルの波動方程式が適用されるので、光速度はどの方向も同じになります。マイケルソン,モーリーの実験結果は、ガリレイ座標系やエーテル随伴説を考えたとき、当たり前の結果なのです。
 相対性や同時性の記述の中で、LとO視点の記述をしましたが、マイケルソン,モーリーの実験は、O視点の実験結果なのです。L視点での実験はいまだかって行われたことはありません。相対速度WがC-Vということは、光の速度は観測者(L)の移動速度の影響を受けていることになるのです。
      

          

 地球の大気圏を電車の中と想定してください。電車の中では、光の伝搬速度に方向性は、見出せません。しかし、電車の外側で測定したら、方向性があるかもしれません。(Lの視点で光速度を測定する。)
 地球の大気圏外で長い物干し竿に測定器をつけて、光の方向性を調べたら、方向性があるかもしれません。しかし、このような実験(L視点の実験)はいまだかって行われたことはありません。
 地球の大気圏内(電車の中)と大気圏外では、光は別の光速度を持っている可能性が高いのです。
 マイケルソン,モーリーの実験結果が出た時代は、「固定したエーテル理論」が主流で、マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと等も加味され、「エーテル」の中を移動しているにもかかわらず、光の速度は観測者の移動速度の影響を受けないと考えられたのでしょう。(アインシュタインは、同時性の否定の時に、観測者L・Mが観測した光速度は、Cではなかったのですが?)
 しかし、「ガリレイ座標系」や「エーテル随伴説」を考えた場合、マイケルソン,モーリーの実験結果が光の速度は観測者の移動速度の影響を受けないという結論とは、直接結びつかず、当たり前の結論になるのです。


5.マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変でも法則は維持される
 光速度が観測者の移動速度に影響されるとすると、ここで問題になるのが、「マックスウェルの波動方程式がガリレイ変換で不変でないこと」です。
 これに関しては、KENZOU氏が、次のブログで音波の波動方程式を求め、光の波動方程式と比較しています。 【 有機合成を専攻した私は、まだ勉強したことがない事柄なので、詳細は次のブログを参照してください。
「物理Tips ~波動方程式とガリレイ変換について~ KENZOU 2008年5月19日(http://hb3.seikyou.ne.jp/home/E-Yama/weqga.pdf)」 】


 そして、この音波の波動方程式もガリレイ変換で不変でないことを説明し、その解を求めています。
     ρ(x,t) = f(x´−(v−V)t´)+g(x´+(v +V)t´)     [式 18]
 この解は音波の伝搬速度が、正と負の方向で変化する。つまり、空気に対して速度Vで動いている観測者からは、音波はx軸の正の向きに速度v-Vで進み、逆の方向には速度v+Vで進むということを言っているにすぎないとしています。
 一方、光に関しては、マックスウェルの波動方程式もガリレイ変換で不変でないが、音波と同じ挙動を示すことを証明しています。
 そして同じように解を求めています。
     φ(x´,t´) = f(x´−(c−V)t´)+g(x´+(c+V)t´)     [式 21]
 この解は、光の伝搬速度が、正と負の方向で変化する。つまり、真空に対して速度Vで動いている観測者からは、光はx軸の正の向きに速度c-Vで進み、逆の方向には速度
c+Vで進むということを言っているとしています。
(KENZOU氏は、マイケルソン,モーリーの実験結果は、真空中での光の速さは観測者の運動状態が変わっても、光の進む方向によらず一定である。として、この結論を棄却しています。)
 音の波動方程式は、ガリレイ変換で不変ではありません。しかし、音はそれぞれのガリレイ座標系内では、同じ法則に従います。波動方程式のガリレイ変換が不変でなくてもガリレイ座標間で法則が維持される場合があるのです。
 光はどうでしょう?音と同じように考察すれば、『ガリレイ座標間で光速度の法則が維持されていて、真空中での光の速さは観測者の運動状態が変わると、光の速度も観測者の速度の影響を受ける。』と考えてもおかしくはありません。
 マイケルソン・モーリーの実験は空気中に静止して測定しているので、いまだかって真空中や空気中を直接移動しての光速度の測定は行われていません。
 しかし、音と同じように光も真空に対して速度Vで動いている観測者からは、光はx軸の正の向きに速度c-Vで進み、逆の方向には速度c+Vで進むと考えると思考実験の考察に合致し、前ブログ等で行った光時計の矛盾も解決します。
 光速度不変原理の『真空中の光の伝搬速度は互いに等速度運動している観測者に対して
観測者の速度によらず常に一定である』はマイケルソン・モーリーの実験と「波動方程式が不変でないこと」から導き出されたものと考えられますが、これにこだわらず柔軟な考え方で、物事を考察していただければ、特殊相対性理論の矛盾をわかっていただけると考えています。


6.相対性理論の矛盾例(運動する物体の時計の遅れに関する矛盾)
 運動する物体の時計の遅れの矛盾を記述する前に、運動する物体の時計の遅れについて簡単に説明します。
 速度Vで移動する電車の床面に垂直に光時計を設置し、光時計を作動させ、光が距離Lを往復する時間を計測します。         

       

 電車に乗っている観測者(電車を静止系として扱えるので)は、上部のように、Mを出た光がBで反射され、Mに垂直に戻る光の軌跡を観測し、
  t=2L/C
の時間を観測します。
 一方、地上の観測者は下部のような光の軌跡を観測します。ここで光速度不変原理を適用し、この軌跡の長さをCで割り、  
  t=2L/√(C²-V²)
の時間を観測するとしています。
 そして、2L/C < 2L/√(C²-V²)なので、運動する物体の時計が遅れると結論付けています。
 では、この考え方の矛盾を説明します。静止系で全て同期してあり、同じ時刻を表示するように設定されている長さLの光時計を3個使用し、速度Vで移動する電車に図のように設置します。

         

 Mから出た光はABCで反射され、Mに戻り、Mに戻った時にMに設置したフラッシュが点灯するようにします。
 電車に乗っている観測者は、各光が2L/C時間後にMに到達し、フラッシュが、
一回光るのを観測します。
 一方、地上にいる観測者は、特殊相対性理論に準じた光の軌跡の観測を行うとA・Cの光はMに2LC/(C²-V²)時間後に到達し、Bの光は2L/√(C²-V²)時間後に到達し、フラッシュが、二回光るのを観測することになるのです!(@_@)
 現代科学の常識では考えられない、一つのものが二つに分かれてしまうのです。
 なぜ?なぜ?物理学者の先生教えてください!( ;∀;)
 光時計の角度を変えると電車の光時計の2L/Cの時間が地上では
 2LC/(C²-V²)~2L/√(C²-V²)の間で、無数の時間が観測されるのです。
 皆さんは、この現象に疑問を持ちませんか?
 こんなバカな現象が起きるはずがないのに、特殊相対性理論の世界では、起こってしまうのです。
 さらに、MよりA・B・Cの各点に到達する時間を考察するとおかしい現象が判ります。電車の観測者は(電車を静止系と考えればよいのですから)L/C時間後に各点に光が到達するのを観測します。
 一方、地上の観測者は、L/(C+V)、 L/√(C²-V²)、 L/(C-V)の時間を観測し、L/(C+V)の時間に関しては、電車の中のA地点は時間が進むことを意味します。
 光時計の角度を変えるとL/(C+V)~L/(C-V)の間で、無数の時間を観測することになるのです。L/(C+V)~に関しては「運動する時計が進む」という現象が生じてしまうのです。
 しかも、特殊相対性理論で時間の遅れはT×√1-(V²/C²)のはずなのに、ミンコフスキー図で分かるように、電車の場所によって時間の進みや遅れがあるのです。
なぜ、「運動する物体の時計は進む場所と遅れる場所」があるとしないのですか? 皆さん何かおかしいと感じないですか?
 おかしいと感じているのは私だけですかね(゚Д゚;)???


 更に矛盾を示しましょう。
 止まっている電車の前・中央・後ろに同期した光時計を垂直に設置し、合わせます。
電車を速度Vで動かし、時計を作動させます。

          

 速度Vで動いた後に、地上で観察する各々の光時計の進み方に違いはありますか?
 ミンコフスキー時空図の同時刻線の傾きからすると、進み方に差が出るはずなのですが、差の説明ができる方がいらっしゃったら、教えてください。
 この矛盾は、光速度不変原理の下に、運動系の光の軌跡(相対速度を持つ)をCとして取り扱っているから起こった現象です。運動系の光と静止系の光は別の挙動をするのです。
 運動系の光の速度(軌跡)をCにして議論はできないのです。
 虚構の理論ですから、矛盾を指摘するとまだまだありますが、このくらいにしましょう。


(あとがき)(1月30に追加)
 この矛盾に気づいたのは、十数年前に特殊相対性理論の解説書を読んだときでした。その中で電車に垂直に設置した光時計を使用して「運動する時計の遅れ」が説明されており、最初は納得しましたが、半信半疑でした。
 他の物理現象では、図のような軌跡を描く物体の動きがLに到達する時間はL/CでVの速度に依存しないはずなのに、光の場合だけ、軌跡の長さをCで割っていて、光だけは特殊な扱いになっていました。

                                                

 なぜ、光だけ特殊なのだろうといろいろ考えました。(物理学者の皆さんは、こんな事考えないのですかね?)いろいろ考え、「光時計の角度を変えたらどうなるのかな?」と考えたところ、時間の遅れに、バラツキが出る事が判り、やはり、何かおかしいことに気が付きました。
 物理専攻ではない私が、気が付き、ネットでも矛盾を指摘するものが見受けられたので、そのうち理論が覆されるだろうと思っていました。
 しかし、去年ネットで調べたところ、特殊相対性理論は、数々の矛盾が指摘されているにも関わらず、いまだに、多くの物理学者の方々に受け入れられていました。
 なぜ、矛盾が指摘してされているのに、この理論が受け入れられているかというと理論の根底部分の間違いを指摘できないがために、この理論が100年以上の長きに亘って 物理学者に受け入れられているのです。
 有機専攻の私が、このようなことをやらなくてもと考えましたが、科学をかじった人間なので、間違った理論が世間に受け入れられているのに、我慢ができなくなり、去年の8月に、「ブログ村」にブログを立ち上げ、物理学者の先生方に矛盾に関する頓珍漢な質問を繰り返し、特殊相対性理論の書物を何冊か読み、根本的な間違いを見つけました。
 アインシュタインの論文等は、非常に読みにくい文章校正で、内容を理解しようとし、内容に疑いを持たずに読むと納得してしまう事柄が書いてあります。
 しかし、間違いに気づいて読むとおかしな理論展開をしていることがよくわかります。
 間違いは、「エーテル理論」(光を伝搬する媒体)より派生した『マイケルソン、モーリーの実験結果の考察方法の間違い』より派生した『光速度不変原理』と「系」の認識錯誤で、この間違いを指摘できないことから、いまだに多くの物理学者の皆さんが受け入れているのが現状です。
 私は、いろいろ思考実験を繰り返し、特殊相対性理論に精通した先生に質問しました。
 ブログを始めたときは、AM・CMの光時計のみを使い、時間が同じだからA・Cに同時に到達すると考え、物理学者の先生に質問しました。
 すると、ミンコフスキー図を示され、「同時ではないよ」と言われ、見たこともない図を見て納得しかかりましたが、光時計の角度を変えると時間が変わることが納得できないために、特殊相対性理論に関する書物を何冊か買い、それを読みました。
 そして、物理学者の先生に頓珍漢な質問を繰り返し、根本的な間違いを見つけるとともに、どうしたら特殊相対性理論を信じている学者さんを納得させられるかを考えました。
 そして同時ではなく、時間の矛盾を指摘すれば、納得させられると考え、上述の光時計の矛盾を考えました。
 このような文章をあらたに、シリーズに分けて投稿しようとしていました。私も矛盾を指摘する先生方と同じく、そのシリーズ(実際には出していません。)ではただ矛盾を指摘しているだけで、根本的な矛盾を適切に指摘していなかったのですが、今回の投稿は、特殊相対性理論の根本的な矛盾をそれなりに適切に指摘できたと考えています。 
 『光速度不変原理』を覆すのは、「天動説」を「地動説」に変えるくらい非常に困難なことと思いますが、(今は、裁判で火あぶりにされませんが。)せめてヒビを入れられたらと考えています。
 物理学を専攻していない自分が、「何故こんなことをやらなくてはならないんだ?」と自問自答し、「めんどくさいから」止めようとしました。
 しかし、科学をかじったことがあるので、間違った理論が物理学に多大な影響を与えているのを見て、なぜかやってしまいました。
 私は、約45年前に有機合成を専攻した者です。私が今できることは、ブログやYouTubeに投稿するくらいで、学会に、「特殊相対性理論の一考察」等の論文を出すことも考えましたが、そこまでは、やろうとは考えていません。
 これを読まれた方は、科学者の方々と思われます。このブログで 特殊相対性理論に疑問を感じた人は、少しでも多くのご友人等にこのブログを紹介してください。
 それにより、特殊相対性理論と光速度不変原理がいつか覆ると考えています。


 物理学者の皆さんの「反論・質問・ご意見」をお待ちしています。議論を行うことは、いろいろな見方ができ、真実が出てくると考えているので、皆さんの反論等をお待ちしています。


 なお、私は物理学者ではないので、このブログの内容が、あっているか、間違っているのかの完全な確信が持てないでいます。
 短いコメント、「正しい」「間違っている」等のコメントを頂けたら幸いです。